「いま」を生きることは人間にとってちょうどいいこと

小竹:常々思っているのは、「いま」を感じながら生きるっていうのが、人間にとってちょうどいいことなんだよな、っていうこと。

小出:ああ……。ほんとそう。というか、人間、ほんとうはそれしかできないのかもしれない。できないことをやろうとするから、話がややこしくなってくるわけで。

小竹:そう。未来を描きながら、かつ、過去を学びに変えながら、いまを生きる! ……なんて無理なんだよね(笑)。このいまこそがかけがえのないギフトだし、逆に言えば、ひとりの人間のキャパシティってそのぐらいしかないんじゃないかな、って、そんな気がしているんだよね。だからやっぱり「しすぎない」っていうのは大事なことだと思う。

小出:いまにストンと落ち着けると、不思議なことに、過去にも未来にも、ちゃんと必要なときにアクセスできるようになるし。無理にそれらにフォーカスを当てなくても、必要な知恵は、必要なタイミングで与えられる。それはほんとうに実感しているよ。だから、まあ、「大丈夫」なんだよね(笑)。なにも心配することはない。まあ、心配だって、自分の意志とは関係なく、起こってくるときには起こってくるんだけど。

小竹:でも、いま遥子さんが言ったように、どうしても、人間、余計なことを考え過ぎて迷走しちゃうように作られているっていうのも、またひとつの事実なわけで。ほんとうは、呼吸をするように、ごく自然に心地よく生きていけるように作られてもよかったはずなのに、そうはなっていない。ジブリの『かぐや姫の物語』じゃないけど、どうして人は、こういう風につくられたのかな、とは思う。

小出:確かに。ずっと天界みたいなところにとどまっていれば、いろんな思い煩いからフリーでいられたのにね。降りてきちゃったわけだからね。ストーリー的に言えば、だけど。

小竹:だから、ネガティブな意味じゃなくて、そういうベタッとした気持ちを味わってしまうのも、人間の凸凹さというかね。未完成がそのまま愛おしいし、いいなあ、とも思う。

小出:そういうめぐみさんのあたたかな視点こそが「いいなあ」だよ。

小竹:いやいや(笑)。でも、ほんとうに、「凸凹だからこそ」だな、と。

小出:『いい親よりも大切なこと』にも書いてあったね。「自分では弱みと思っていても、人から見たら強みであることもある……ということをお忘れなく!」って。凸凹論の素晴らしいところってそこなんだよね。人を決して裁かない。そのまま、ありのままを受容してくれる。最初に凸凹論を知ったとき、思わず泣いちゃった。あまりにもあたたかくて、やさしくて。

小竹:ありがとう。うれしいなあ。

愛でるべきものは、いまここに溢れるほどある

小竹:「ここにはなにもない」と思っている人に、「ちゃんと咲いているよ」って、そのことを伝えてあげられたらいいな、って。「大丈夫、もうできているよ」って。これまで出会ってきた多くのママさんたちも、「自分にはあれができていない、これもできていない」って思い込んで、「もっとこうしないと、ああしないと」って焦って苦しくなっちゃう人が多い。だけど、「すでに咲いているよ」「ちゃんとあるよ」「もうできているよ」って伝えることで、なにか見えてくるかもしれない。そして「いろんなことをひっくるめて、この現実も、そう悪くないのかも……」って思えるかもしれない。

小出:そのステップはすごく大事だね。

小竹:そう。本人がそこに納得感を持ってないのに、一方的に「いまを生きるのはいいことだよ」って言っても説得力がないし。

小出:「いまを生きる」をかたちだけのスローガンにしても仕方ないものね……。そこは、やっぱり、本人の「あ、そうかも、ほんとうかも」がないと。小さくても、大きくても、「気づき」をちゃんと重ねていかないとね。自分でね。

小竹:私、『いい親よりも大切なこと』の中ですごく好きなところがあって。大人はエンターテイナーにならなくていい、今日という日のいろんな要素がすでにこどもたちのエンターテイナーなんだから、っていう……。ここね。

家の中にだって、子どもが楽しめる要素がたっぷりあります。たとえば、今日料理する夕飯の素材を、ひとつひとつ触らせてあげるのだって、立派な出会い。子どもにとっては、遊びにもなります。
包丁でトントントンと野菜を切る音、ジャッという炒め物の音。そんな音だって、子どもたちは十分楽しむことができます。
そういう子どもたちの楽しみ方を見ていると、いつも大人の想像を超えてくるなあと思います。無理にこちらが何かしてあげようと思わなくても、ただ、暮らしの中に、彼らが反応する出会いや遊びや学びの要素がたくさんあることを知ってほしいのです。それがわかった上で、一緒に“暮らしそのもの”を楽しんでみてください。
日常の中にすでにある、音、光、香り……といろんな要素が今日をつくっています。特別なことをしなくても、そのひとつひとつに出会っているということを知っているのが大切なのです。

(同書60ページより抜粋)

小竹:世界って、素敵じゃない?

小出:ほんとうだね。必要なものは、すでに、ここに、ぜんぶある。

小竹:そうそう。日常の中にすでにあるんだよね、ぜんぶね。こういう要素のひとつひとつが今日という日を作っていて、そのひとつひとつに、私たちは出会い続けている。「今日の愛で方」って、誰も教えてくれないでしょう。そういう講座があるわけじゃないし(笑)。

小出:「今日の愛で方講座」かあ(笑)。

小竹:私としては、いまの文章が、そのまま「今日の愛で方」だと思うんだよね。

小出:確かに。大切なことが書いてある。しかも、これも繰り返しになるけれど、そこに決まった「正解」がないっていうのがすごいいいよね。なにをしたって、どう感じたってOKっていう。

小竹:愛でるべきものは、ここに溢れるほどあるわけだからね。

小出:そのことに少しずつでも気づいていければいいよね。

「こんな時代」と嘆くより

小出:やっぱり、不安をベースに生きていると、なかなかいまあるものに目が行かないから。でも、いまあるものに目を向けないと、永久に不安は解消しないんだけどね。

小竹:私も「こんな時代にこどもを産むのって、不安じゃないですか?」「こんな世界で子育てするの、怖くないですか?」なんて言われることがあるんだけど、正直、「え?」って思っちゃう。逆に言っちゃうもんね、「この世界、すごく素敵だと思いますけど?」って。

小出:そう言えるめぐみさんが、すごく素敵だと思う。

小竹:もちろん、原発とか、外交関係とか、食の安全の問題とか、いまの時代ならではの、課題と呼ばれるもの・ことたちはいろいろあるけれど、そんなことを言い出したら、いつの時代だってキリがない。さっきの曼荼羅の話と一緒で、それも含んでひとつの世界だし。

小出:まずはそれを認めないとね。もちろん、反対すべきときはちゃんと反対したいし、行動すべきときはしっかり行動したいとは思うけど。でも、不安なところにばかりフォーカスしていても仕方ないからね。それをやっていると敵を増やしちゃうんだよね、知らず知らずのうちに。

小竹:そうそうそう。不安でいっぱいになると、人って厳しくいろんなものを見てしまう。「私はこれを選びます!」って言って、それ以外のものを拒絶するような生き方をしてしまう。見ていてすごく苦しそうなんだよね。

小出:人間、なにを選んで生きてもいいと思うんだけど、その選択のベースに「怖れ」があると、結局苦しみの中で生き続けることになっちゃうんだよね。そういう雰囲気って、どうしても、その人の周りにもにじみ出てしまうし。そういう人に、彼らが恐怖心から選んだものを勧められても……たとえば「安全な」食品とか衣類とか……やっぱり、「うーん」ってなっちゃうよね。もちろん、そういう食品とか衣類とかが悪いっていう話ではぜんぜんなくて、それを選ぶあなたのこころのベースにはなにがあるのかな、っていう話ね。

小竹:そうだよね。

人のこころを動かすものの正体は

小竹:やっぱりさ、人って、なにかその人からあふれ出る魅力にこそ惹かれるものじゃない? 私、いまでも鮮明に覚えているんだけど。10代のときにね、友達と、その友達の外国人の彼氏と一緒に食事をしたの。そのときに、その外国人の男の子が、普通だったらテーブルに置いてあるペーパーナプキンを使うようなシーンで、自分のハンカチを取り出して、それで代用したのよ。で、思わず「なんで? この紙を使えばいいのに」って言ったら、彼はさらっとこう答えたの。「木が好きだから」。

小出:すごい!

小竹:ほんとうにひとこと。それだけ言って、さっとハンカチをしまって、それでおしまい。それ以降一切しないの、その話を。

小出:それはしびれるなあ……。

小竹:もう、それが、10代の私には衝撃で、たまらなかったの。なんてシンプルな答えなんだろう、って。

小出:うん。まったく過不足がない。

小竹:そうなの。人が人になにかを勧めている姿を見ると、いつもあの彼の姿を思い出すんだ。その人から自然ににじみ出るなにかこそが、人のこころを動かすんだよ、だから言い過ぎなくていいんだよって。

小出:いいお話。ほんとうにその通りだなあ……。

小竹:みんなそれぞれに違う理由があって、違うものを選んでっていうのを繰り返して生きてきているわけだから、突然「いや、こっちの方がいいよ!」と言われても、そう簡単に聞く耳を持てないよなあ、と。

小出:そうなんだよね。頭の中だけでなにかを考えてしゃべっている人のことばよりも、ほんとうにおなかの底から自分が好きだと思うものに自然に向かっている人からにじみ出る雰囲気の方にこそ、人は惹かれるんだよね。なんか、それこそがほんとうの意味でのコミュニケーションなのかもしれないな、とも思うし。

小竹:わかるなあ。

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