いま、あるがままを受けいれない限り、次はない

小出:壮大な旅をされたのですね。よくぞ、戻っていらっしゃいました。おかえりなさい。

栗生:ねえ、ほんとうに。ただいま!(笑) そうして、意識の世界から帰ってきて、部屋で目を覚まして……。現実の世界でいったいどれだけの時間が経っていたのかはわからない。周りの状況も、私の身体の状態も、なにひとつ変わっていなかった。だけど、唯一変わったのが、そのときには、もう、一切の個人的な願望がなくなっていたんですね。「ただ、生きる」ということ以外、綺麗さっぱりなくなってしまっていた。

それで、こう思ったんです。私は、もう、ただ、生きていくだけでいい。神さまが、もういいよって言うところまで、私のいのちが尽きるところまで、ただ生きよう、って。

小出:ただ、生きよう……。

栗生:うん。私は、その瞬間、自分を受けいれたんですよね。病の自分をまるごと受けいれた。病でいいよ、って。このままずーっと病の自分のままでいいよ、って。それはもう覚悟に近いんですよね。そうやって覚悟を決めたら、不思議なことに次の展開が向こうからやってきて、おかげさまで、いまは健康に毎日を過ごさせてもらっているんですけれど……。

まずは、自分を受けいれたんですよね。あるがままの自分を愛すること。いま自分に与えられた状況に感謝すること。それが病であっても、健康であっても、なにひとつ変わらないということ。病気だから、不健康だから悪いなんて、そんなことはぜったいにない。ただ病気だというだけ。「良い」「悪い」の判断は自分がしているだけであって、事実は、ただ、自分は病気だというだけ。それを認め切ってしまうこと。

もちろん、本人は大変だし、つらいし、苦しい。他人が聞いたら、なにを言っているんだって怒られるかもしれない。だけど、私も同じぐらい苦しんだから、これはもう、はっきり言うことができます。ほんとうに、いま、あるがままを受けいれない限りは、次はないです。

「生かされている」という光

小出:自分の「いま」を受けいれ切った先に、次の展開がやってくる……。すごくよくわかるような気がします。具体的には、栗生さんの人生に、どんなことが起きてきたのでしょう?

栗生:たまたまね、知り合いに、足元をあたためて、血液のめぐりをよくする自然療法を試していた方がいて。その方に勧められて、その療法を試してみることになったんです。それが私には合っていて。おもしろいですよね。だってそのとき、私には「治そう」っていう意識はなかったのに。ただ、淡々と、目の前にそれがやってきたから、じゃあ、やります、って。

小出:そこには一切の期待感がなかったんですね。それこそご縁のままに、淡々と、やることになっているから、やっている、みたいな感じですかね。

栗生:そうそう。ただただ「やる」ということが起きていて……。そこにまったく期待感はなかったですね。でも、淡々と取り組んでいくうちに、ほんとうに、血液がね、全身をめぐっていくのが、理屈じゃなくわかって。その瞬間、久しぶりに、光を見た気がしたんです。

小出:「光」ですか。

栗生:なんと言えばいいのかな……。「生かしてもらっている」、だから「生きてみよう」って。強いエネルギーが湧いてくるのを感じたんですよね。それまでは「ただ生きる」っていう漠然とした気持ちだけがあったんですけれど、自分の身体を血液がぐるぐるとめぐっていくのを感じた瞬間に、「私、生きられるかも」「生きてみよう」って思ったんです。あれは、明らかに、「生」の方向に強いエネルギーをもって走り出した瞬間だった。

いのちは光に向かって動いていく

小出:なるほど……。栗生さんが見出した光というのは、「いのちの光」と呼べるようなものだったのではないでしょうか。

栗生:ああ、そうです。いのちの光。まさしく、それです!

小出:いのちは、光を目指すんですよね。あるいは、いのちそのものが光と言ってもいいかもしれないけれど。

栗生:ほんとうに! ほんとうにそうなの。私、大好きな映像があるんです。無数の粘菌アメーバが結集して、ひとつの胞子ができるまでを顕微鏡で見つめた映像で。いまから30年以上前に撮られたものなんですけれど。ご覧になったことありますか?

小出:胞子ができるまでの映像ですか? たぶん、ないと思います。

栗生:最初、すべての細胞って、意識を持たない、ただのアメーバ状の物体なんです。それが何回も何回も、合体して、分裂して、合体して、分裂してっていって、だんだんとくっついて一カ所に集まっていくんですね。それがある大きさまで育った段階で、どういうわけか集団としての意識を持ちはじめて、その瞬間に、光の方向に向かって伸びていくんです。中心の部分がぶわ~って盛り上がって、そのまま上に向かって伸びていって、一本の線ができて。やがて先端部分に球状の物体ができるんですね。その段階まで行くと、土台部分の細胞たちが、みずからいのちを断ち切るかのように、先端部分だけをプチンって切り離すんです。そうやって生かされた球状の先端部分が、あの小さな小さな胞子のひとつになるんです。

小出:へええ……!

栗生:いのちって、意識を持った途端に、光に向かって動きはじめるんですよね。その先に、また、いろんないのちが展開していって……。私、そのことにものすごく感動して……。

小出:その映像、見てみたいです! いのちの根源的な願いが伝わってくるような映像なのでしょうね。

栗生:そう、ほんとうに素晴らしい映像なんですよ。……って、ごめんなさい、ちょっと脱線してしまいましたね。

小出:いえいえ、ぜんぜん! 素敵なお話をありがとうございます。

すべては「めぐり」の中にある

小出:話を元に戻します。ご自身に合う療法に出会われて、「いのちの光」を見出されて……そこから先の展開をお聞かせいただけますか?

栗生:はい。血液が身体中をめぐるようになって、そこからどんどん健康を取り戻していって、その過程で、これまた偶然なんですけれど、発酵に出会って。手作りの発酵食を摂ることで、死滅していた腸内の菌がどんどん甦っていったんですね。同時に発酵食の菌によって、体内に溜まった毒素もどんどん解体されて、押し出されていって。そうやってどんどん良い循環が生まれていって……。おかげさまで、いまでは、一応、病は、完治しています。

小出:よかった……。おめでとうございます。ほんとうに、大変でしたね。お疲れさまでした。

栗生:ありがとうございます。でもね、ここが重要なんですけれど、病が治ってうれしいというのはもちろんあるんですけれども、それよりも、あんな状態になっても、ちゃんと再生、蘇生するんだっていうことを、自分の身体で体験させてもらったことが、私としてはとても大事なことだったと思っているんです。

小出:「再生」ですか。

栗生:うん。話はいきなり大きくなってしまうんですけれど、人間の身体の中で起こっていることって、そのまま、外の世界で起こっていることにあてはめて考えられると思うんですよ。

小出:それは、発酵食との出会いを通じて気づかれたことなんですか?

栗生:そうですね。発酵食を作っていくと、その過程で、食材がどこでどうやってできているのかということに、おのずと関心が向いていきます。大豆とか、小麦粉とか。そうすると、いろんな問題が見えてくるんですね。種の問題、栽培の問題、肥料の問題、あとは添加物の問題。社会的なことがぶわっと見えてくる。すると、今度は農業を取り巻く環境そのものにも目がいくようになるんです。

小出:環境そのものにも。

栗生:はい。すべて循環していますから。山でミネラルが生まれて、川が運んで、海に流れて、そして海の水が蒸発して水蒸気になって、雨になって、森を育て、山を育て、そして海を育てる……。自然界は、すべて、循環の中にある。

人間の身体もこれとまったく同じなんです。私の身体でそれが証明されました。足元を温めたことによって、血液が循環しはじめ、停滞していた細胞、臓器が蘇っていきました。身体の中は、頭から各臓器、手足の末端までぜんぶつながっていて、循環することで「すべてが生き出す」ということを実感しました。身体の中も、自然界と同様、切り離されたところはひとつとしてなかったんです。

小出:自然界も、人体も、大きな「めぐり」の中にあるのですね。すべてがめぐっているからこそ、生きていられるというか……。

栗生:そうなんです。だからね、いま、いろんな公害とか、化学肥料とか、それこそ放射能とかで死んでしまった土が問題になっているでしょう。これはもう元には戻らない、絶望的な状況だ、みたいなことが言われているんですけれど、でも、私は、そんなことはぜったいにない、って思っているんです。なぜなら、あんなにひどい状態だった私の身体でさえ再生したのだから。だから、どんなにひどく汚染された環境も、ぜったいに再生できる。

再生への具体的な道筋は、いまの私には見えていません。でも、かならず、自然発生的に、なにかの手立てが見えてきて、道は開けてくると思うんです。そこは信じています。

小出:力強いおことばです。

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