「いのちからはじまる話をしよう。」ということで、私、小出が今回お訪ねしたのは、発酵生活研究家の栗生隆子さん。お人柄そのものの、やわらかくも芯のある語り口で、発酵生活の良さと、そこから開けてくる世界についてお伝えくださっている素晴らしい女性です。
栗生さんとはここ1年半ほどのお付き合いになりますが、ご縁をいただいた当初から、私には、強い直観があったのです。この方は、すでに大きな大きな「いのち」を知って、そこを直に生きていらっしゃるのではないかな、と。発酵食づくりは、その表現のひとつなのではないかな、と……。その直観が、1ミリもズレることなく正しかったことは、対話をスタートした瞬間にわかりました。
栗生さんは、大病をされています。そして、すでにそこを超えられています。
体験を通じて放たれたことばは、やはり、強いです。説得力が違います。まさしく、身体まるごと、心まるごとで「めぐりの中にあるいのち」「めぐりそのものとしてのいのち」を表現する栗生さんのお姿に、私は、ほんとうに大きな力をいただきました。そして、それはそのまま光に満ちた、調和的な未来を創造する力となっていくのではないかな……と。そんな予感にあふれています。
この記事を通して、みなさんにも、その力が届くとうれしいです。大きな気づきに満ちたロングダイアローグ、どうぞ、最後までじっくりとおたのしみくださいませ◎
※このダイアローグをベースとしたイベントも開催いたします。詳しくは記事の最後でお知らせいたします。どうかお見逃しなく!
発酵を通すと「気づき」を得やすくなる
小出:栗生さんのご著書『豆乳グルグルヨーグルトで腸美人!』(マキノ出版)を拝読して、「これは良さそうだ!」ってピンときて。私もここ1年半ほど、ほぼ毎日、豆乳ヨーグルトを手作りして食べています。簡単だし、心身はととのうし、なによりおいしいし……。発酵ってすごいんですね! 生活を通して、無理なくいろんな気づきをいただけるなあ、って。
栗生:そうですね。私も、いまは発酵に特化して、みなさんと一緒にたのしみながらやらせていただいているんですけれど、やはり、一番大事なのは気づきをいただくというところなんですよね。というか、正直、そこだけなんです。もちろん、これをしなくても気づかれる方は気づかれるんですけれど、でも、発酵を通すとわかりやすくなりますから。内側からインスピレーションがやってきやすくなるというか……。
小出:うん。その気づきって理屈を超えたものなんですよね。そしてそれは、そのまま「いのち」と結びついているもので……。今日はそのあたりを中心とした対話をたのしめたらいいな、と思っています。どうぞよろしくお願いします。
栗生:よろしくお願いします。
歯科治療が原因で化学物質過敏症に……
小出:では、さっそくなんですけれど、栗生さんが発酵生活に出会われた経緯をお話しいただけますか?
栗生:私の場合は、身体を悪くしたことがそもそものきっかけでしたね。
小出:かなり長い間、腸を患われていたとお聞きしていますが……。
栗生:もともとは……14歳だったかな、歯医者さんに行ったんですね。そこで奥歯に詰め物をしたんですよ。その詰め物というのが、水銀の化合物だったんです。
小出:水銀?
栗生:当時、10年間ほど、歯科治療での使用が認められていたようで、ちょうどその時期だったんですね。もちろん、その詰め物を入れた人全員にその症状が出るわけではないんですけれど、私の身体にはまったく合わなくて。化学物質過敏症になってしまったんです。それをきっかけに、とにかく身体の調子が悪くなってしまって。下痢とか、頭痛とか、めまいとかが常に起こっている状態になってしまって……。でも、病院に行って、精密検査をしても、原因が見つからないんですよ。私もね、まさか歯に元凶があるなんて夢にも思わなかったし。
小出:不調の原因が歯の治療にあったということが判明したのは、いつ頃だったんですか?
栗生:ほんとうにごく最近です。だから、それが原因だっていうことがはっきりわかったときには、すでに病はほぼ完治させていました。でも、知人に専門家がいて、「奥歯に水銀の毒が残っているようだから、念のため取ってもらった方がいいんじゃない?」ってアドバイスをくれたんですね。それで、実際に歯医者さんに行って、詰め物を外してもらったら、やっぱり中がすごく炎症を起こしていて。ああ、これだったんだ、って。その後、もっと良くなりました。
小出:そうだったんですね。ほんとうに、大変でしたね……。
栗生:そうですね。14歳から20年以上、ほんとうに苦しみました。一番つらかったのは、下痢が止まらなかったこと。でも、アレルギーなので、病院では「異常なし」ということにされてしまって。そうなるとお薬はないんですよ。
でも、下痢が止まらないと、とにかく不自由。日常生活に支障が出る。だから、安易に市販の下痢止め薬に手を出してしまって。でも、お薬が効いたのは、せいぜい最初の3年間ぐらい。そのあとも飲み続けたんですけれど、7年経った頃だったかな……お薬を飲んでも、もう、まったく効かなくなってしまったことに気づいたんですね。それなのに症状は悪化の一途を辿っていて……。
その頃には私の腸はほとんど再起不能の状態。長年飲み続けた下痢止め薬に抗生物質が入っていたんです。それによって、腸の中の、人間にとって必要な菌まで死滅させてしまいました。だから、もう、なにを食べても消化ができない。消化ができないから栄養が摂れない。最終的にはお粥さえ食べられなくなってしまって……。
小出:お粥さえ……。
栗生:だからもう、立っているのもやっとで。ずっと布団とトイレの往復状態でしたね。でも、私も若かったし、頭の中にはいろいろとやりたいことが浮かんでくるわけですよ。友達と遊びたい、こんなことを学びたい、あんなところに住みたい、海外に行ってみたいって。でも、実際は、家から出ることすら、それどころか布団から出ることすらままならない。だからこの夢は諦めなきゃいけないんだって、ひとつひとつ、必死で自分に言い聞かせて……。もうね、願望という願望、ぜんぶ奪われてしまった感じ。悲しかったですよ。
小出:考えるだけでつらいです……。
生きることも死ぬこともできなくて
栗生:そういうことがずっと続くと、人間って、どうしても死を意識するんですよね。そんなこと考えてはいけないことはわかっているのですが、でも、気がつくと死ぬことばかり考えてしまっているんです。身体の痛みもあったので、死んだら楽になれるんじゃないか、って……。疲れるんですよ。くる日もくる日も、病気を治そうとして、頑張って、頑張って、頑張って。でも頑張ってもちっとも良くならない。なにをやっても良くならない。たびたび襲ってくる身体の激痛に、やがて精神も疲弊してくるんですよね。どんなに気持ちを立ち直らせても、また落ち込むということが繰り返される……。
それでも、最初はね、もう限界だな、死にたいな、って思うことがあっても、せいぜい1年に1回ぐらいだったんです。1年に1回ドーンと落ちこんで、1ヶ月ぐらいかけて立ち直る……っていうのを、数年間、ずっと繰り返していた。でも、そうこうしているうちに、落ち込みのスパンが短くなってきて。半年に1回になったんですよね。それがだんだんと、3か月に1回、2か月に1回、1ヶ月に1回って、どんどんどんどん……。そんなあるとき、私の意識の中で、ついに限界を迎えてしまって。
小出:限界……。
栗生:もう細い精神力だけで生きていたようなものでしたから。精神のエネルギーが枯渇してしまったんですね。いままでは、生きるか死ぬか、っていうふたつの選択があったんですけれども、そのときは、生きることも、死ぬことも選択できないという状態になってしまって。
選べるうちはまだいいんですよ。どちらもエネルギーですから。生きるもエネルギー、死ぬもエネルギーだと思いますので。でも、そのときの私には、どちらの方向のエネルギーも、一切湧かなくなっていた。ああ、私は、もう、どちらを選ぶこともできないんだって。そうしたらパニックになってしまって。生きるベクトルと、死ぬベクトルが、互いに正反対の方向に引っ張られて、ハレーションを起こしてしまったんです。それで、その瞬間に、自分の意識がね、ポンッと飛んでしまったんですよね。肉体を飛び出して、意識だけになってしまった。
小出:意識だけ……。
栗生:よくね、臨死体験をした人とかは、自分の姿を見ていたっていうんですけれど、私の場合はそういうことはなくて……。もう、時空間の世界って言ったらいいんですかね。かたちも、色もなにもない世界。
小出:光も、闇も?
栗生:ない。なにもない。ただ、意識だけがある状態です。
小出:想像もつきませんけれど……とてつもなく大変な体験をされたんですね……。
肉体がなくなっても、苦しみはなくならなかった
栗生:それで、私、そのときまで、さんざん「死んだら楽になれるんじゃないか」みたいなことを考えていたわけですよ。どうしようもない痛みを抱えていたので、肉体を捨てたら、絶対に楽になれるはずだって。でも、意識だけになっても、苦しみがまったく変わらなかった。同じだったんです。不思議に思いました。あれ? これはおかしいぞ、と。
それで、その世界では、どういうわけか、時間の設定ができたんですよね。○年後、という風に設定したら、意識だけがそこに飛んでいける、っていう。
小出:へえ……。
栗生:それで、ほら、49日とか、1周忌とか、3回忌、7回忌とかってありますよね。区切りごとに法要があるっていうことは、やっぱり、現世との断ち切りに時間がかかるときもあるんだなっていうことを、ふと思って。じゃあ、せっかくなら、この苦しみがなくなるところまで行ってみようと思ったんです。
最初、試しに49日後に設定してみたんです。だけど、まったく苦しみが減らなかった。そうか、あまりにも長く苦しみすぎたから1年はかかるかも。じゃあ1年後はどうかな? 変わらない。3年はかかるかな? 3年後。変わらない。10年後。変わらない。30年後。50年後。まったく変わらない。で、100年後まで行ってもぜんぜん変わらなくて、そのときにまた、あれ? って思ったんですよ。100年経ったら、たいていの人の人生は終わっているはずだよね、って。もし、まともに天寿をまっとうしたとしても、私の苦しみは、まったく変わらないのか……って。
そうなると、もう、ヤケですよね(笑)。じゃあ、この苦しみがなくなるところまで、とことん行ってみようって。そこからさらに200年後、500年後、1千年後、5千年後、1万年後、1万5千年後、2万年後……。それで2万5千年後まで行ったときに、もう、数の感覚がわからなくなっちゃって。ああ、この先は、無限だ、って思ったんです。そのときにはっきり思いました。時間という概念はなく、無限だ、って。
小出:無限。
栗生:無限です。その瞬間でしたね。「ああ、まずい、帰ろう!」って、強く思ったんですよね。それが何なのかはわからないけれど、私には、この身体じゃないとぜったいにわからないことがある、って。あれだけ脱ぎ捨てたいと願っていたけれど、この身体じゃないと体験できないことがあるんだ、って。病気で、ほんとうにボロボロで、オンボロのポンコツ車みたいな身体だけど、私はこの身体じゃないとわからないことがある、だから帰ろう、って。そう決めて、帰ってきました。
小出:そうでしたか……。
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