【怠けグセ・先延ばしグセ・完璧主義・考えすぎ】「変われない」自分を責めるのは終わり。観自在の視点で、あたらしい台本を選び直そう。

みなさんに、ちょっと問いかけてみたいことがあります。

「完璧主義すぎて、なかなか物事に着手できない」
「お尻に火がつかないと動けない、先延ばしグセがある」
「ゼロか100かで考えがちで、少しつまずくと全部投げ出してしまう」

こんなふうに、

「自分の中のこの部分、変えたいな」
「この習慣、どうにかしたいな」

と思うようなところはありますか?

実は少し前にコミュニティでこの問いかけをしたところ、
多くの方がご自身の「手放したいクセ」を教えてくださいました。

人間であれば、誰しも一つや二つ、こういった内面的な「悪癖」や、
あるいはお酒、タバコ、ゲームといった外面的な「悪習慣」を持っているものですよね。

「変わりたいのに、変われない」
「動きたいのに、動けない」

何年も奮闘しているのにちっとも手放せないと、自分の意志の弱さを責めたり、
人間としての欠陥があるんじゃないかと落ち込んだりしてしまっているかもしれません。

でも、安心してください。
その「変われないドラマ」からスッと抜け出して、
軽やかな世界へ移行する抜け道も存在しています。

「動けない」のは、あなたの脳みその仕様です

大前提として、人間というのは「未知の世界に飛び立つ」よりは、
「既知の世界でぬくぬくしていたい」生き物なんです。

朝、おしっこに行きたいのに、お布団があたたかくて気持ちよくて出られない……ということ、ありますよね。
「あと5分ぬくぬくしてたら、尿意が消えるんじゃないか?」なんてあり得ないことを毎回思ってしまう(笑)。

変化を嫌い、現状維持したがるのは人間の脳みその仕様です。
だから、怠けグセ、先延ばしグセがあるからといって、自分自身を断罪する必要はまったくありません。

やらないことで、どんな「痛み」から自分を守っている?

では、なぜ私たちは先延ばしにしたり、完璧主義に陥って動けなくなったりするのでしょうか。
それは、その大元に「直視したくない激しい心の痛み」があるからです。

「期待に応えられなかったら、自分には価値がないと感じてしまう」
「うまくやらないと、愛してもらえない」
「どうせ誰も理解してくれない、自分はひとりぼっちだ」
「自分はダメな人間だから、チャレンジしたところでどうせうまくできない」

いわゆる「価値なし」「愛なし」「ひとりぼっち」「欠陥・欠損」という、人間が根本的に抱える痛みに満ちた思い込みです。
(※これは由佐美加子さんが提唱される「ザ・メンタルモデル」という考え方です)。
私たちは、この激しい痛みに直面するくらいなら、「やらない」「動かない」という選択をします。
動かないことで、自分の心を守っているのです。

「観自在(かんじざい)」の視点で自分を抱きしめる

自分は価値がない、愛されない……これらはすべて、はっきり言って誤った思い込みです。
でも、本人にとっては長年慣れ親しんだ、強固な自己認識のフレーム(物語)になってしまっています。

この苦しい物語から抜け出すためのカギが、「観自在(かんじざい)」の視点です。

『般若心経』の冒頭にも登場する「観自在菩薩(観音さま)」のように、
物事をありのままに、ジャッジせずに見つめること。

「ああ、自分は今、こういう痛みを避けるための物語にハマり込んでいるんだな」と、ただ客観的に見てあげるんです。
そして、『あるねメソッド』で、その大元にある痛みに対して「ただ、あるね」と愛の光を当ててあげます。

「必死に自分を守ってきたんだね。よく頑張って生きてきたね」と、自分をギュッと抱きしめてあげる。
苦しかったかもしれないけれど、その物語は、物語そのものとしては「完全完璧」だったし、
そこで必死で生きてきた自分も「完全完璧」だったんです。

100パーセント自分の責任で、あたらしい物語を選ぶ

ジャッジのない光の中で痛みがふわっと溶け出していくと、
意識のゼロポイント(気づきの中心点)に戻ることができます。

そこには、無数の「台本(パラレルワールド)」が存在しています。
そこに立つと、古い思い込みの台本から軽やかにおさらばして、
「次はこの台本を現実として生きていきます」と、自覚的に選び直すことができるのです。

誰かに押し付けられた物語ではなく、100パーセント自分の責任で選んだあたらしい物語。
「100パーセントの自己責任」と聞くと重苦しく感じるかもしれませんが、
むしろ最高に清々しくて自由な世界がそこには広がっています。

この「観自在」の視点を持てると、自分とも他人とも戦わなくなります。
誰がどんな物語にハマっていようと、「それはそれで完璧だよね」と全受容できる。
これが、本当の意味での「しらふの世界」「さとりの世界」です。

私自身、長年やめられなかったお酒をスッと手放せたのも、
「人に誤解される(=ひとりぼっち)」という痛みに気づき、
好奇心を持って「しらふの世界」というあたらしい台本を選び直したからでした。

気合や根性で無理やり「成し遂げた」のではなく、ただ軽やかに「選び直した」だけなのです。

『Curian Lab 49』へ、あなたの「杖」ごと飛び込んできてください

人間らしく、変わりたいけど変われない物語を生き続けるのも、もちろんオールオッケーです。
それもそれで、間違いなく素晴らしく、尊い人生です。

でも、もし「何とも戦わなくていい、軽やかな道」に興味が湧いたなら、
一緒にこちらの世界であそんでみませんか?

5月9日からスタートする『Curian Lab 49(キュリアンラボ)』は、
49日間かけて、戦いの世界から解脱し、しらふの世界へシフトしていくためのプログラムです。

先延ばしグセ、怠けグセ、完璧主義、考えすぎ、誰かや何かへの依存……。
それらはすべて、あなたが痛みを抱えたまま生きていくために必要だった「杖」です。

だから、その杖は今すぐ捨てなくて大丈夫です。
杖をついたまま、「キュリラボ」に飛び込んできてください。
プログラムの最初は、これまであなたを支えてくれたその杖に、感謝と敬意を持つところから始まります。

「キュリラボ」は、明日4月19日(日)まで、早割価格でご提供中です。
通常33,000円のところ、明日までディスカウント価格の22,000円でご参加いただけます。
もし、このあたらしい世界への「好奇心」が少しでも刺激されたなら、ぜひご参加ください。

誰とも何とも戦わなくていい「しらふの世界」、あなたとご一緒できるのを楽しみにしています。

▼『Curian Lab 49』のお申し込み・詳細はこちら

Curian Lab 49:7週間の煩悩成仏プログラム
戦いの世界から解脱し、さとりの世界に帰還しよう。
https://koideyoko.thebase.in/items/141340271

▼本日のYouTubeライブのアーカイブはこちら(たっぷり1時間お話ししています!)

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