
【世界一シンプルな感情解放ワーク】外側のトラブルには「一切」対処しなくていい!
予期せぬトラブルや、強い不安、恐怖を感じるような出来事に遭遇した時、
私たちの体はギュッと縮こまり、冷えて固くなるような、強烈な不快感を覚えます。
その嫌な感覚を「早く消したい」「どうにかしたい」と思うのは当然のことです。
しかし、そんなときにあえて「外側の問題に対処しない」という選択肢を持つことで、
驚くほど根本的な解放が起こっていくのです。
今回は、ネガティブな感情が自分の元にやってきたときの、
もっともシンプルでパワフルなワークについてお話しします。
◆感情を「因数分解」する
そもそも、「感情」とは一体何なのでしょうか。
私たちが「私のもの」と呼んでいるものには、大きく分けて3つあります。
「思考」「感情」そして「体の感覚」です。
この中で、もっとも原初的なものは「体の感覚」です。
これは神経の反応であり、電気信号の刺激を、純粋な「痛み」として知覚している状態です。
そして、この「体の感覚(神経の痛み)」に、
「思考(ストーリー)」がくっついたものが「感情」です。
たとえば、職場で同僚に挨拶をしたのに無視されたような気がしたとします。
そのとき、体に「ギュッ」とした嫌な感覚(体の感覚)が走ります。
そこに「私、あの人に嫌われているのかな」とか、
「あの時のあれが気に食わなかったのかな」とかの思考(ストーリー)が乗っかることで、
「悲しい」「寂しい」「腹立たしい」といった「感情」が生まれるのです。
◆ストーリーから降りて、純粋な「体の感覚」とともにある
よく、「ネガティブな感情は、しっかり感じ切って手放しましょう」と言われます。
方向性としてはその通りなのですが、
それをそのまま受け取って、単純に「感情」を感じようとすると、
私たちはいつの間にか「思考(ストーリー)」の中でぐるぐると迷子になってしまいます。
「なぜあんなことをされたんだろう」「これからどうなっちゃうんだろう」
出口のないストーリーを追いかけている間、体の神経系はずっと興奮しっぱなしです。
これでは、いつまで経っても解放は起きません。
では、どうすればいいのか。
それは、いったん頭を空っぽにして、思考(ストーリー)を完全に止めることです。
言葉も、イメージも使いません。
ただ、胸やみぞおち、おなかのあたりに発生している
「純粋な体の痛み(原初の感覚)」と、ただともにある。
それだけをします。
どんなに分厚い雲がやってきて、雷を鳴らし、大雨や大雪を降らせたとしても、
その上にある「青空」が傷つけられることは絶対にありません。
私たちは本来、その青空そのものです。
無限のスペースとしての青空の立場から、そこに現れた雲(痛み)と、ただともにあるのです。
◆「あるね」の3つの体感
この「ただ、ともにある」状態をつくるための、
大切な3つのポイント(あるねの体感)があります。
①重心は「おなか」
おへその下、丹田のあたりに、スッと重心を収めます。
②視点は「頭上、斜め後ろ45度」
重心がおなかに下がると、自分自身と世界を眺める視点が、
頭の斜め後ろ45度くらいの位置にスライドします。
③体感は「無限大」
見ようとしなくても見えている。聞こうとしなくても聞こえている。
何かを感じている「私」はここにはおらず、すべてがシームレスにつながっている。
あえて言うなら、「いまここ」が「わたし」であるという体感です。
この3つの体感の中で、純粋な体の痛みとただともにあることを続けてみてください。
すると、その痛みは一定ではなく、常に変化し、
いまここに生まれては消えているだけのものだとわかってきます。
◆外側のトラブルには「対処しない」
トラブルが起きた時、
私たちは「原因を探って、外側の問題を解決しなければ」と焦ります。
外側の問題さえ消えれば、内側の嫌な感覚も消えるだろうと信じているからです。
しかし、
あえて外側には一切対処せず、内側の体の感覚だけに集中する、
ということをしてみてください。
ドーパミン(未完了物質)を分泌させて、焦りの中で動くのではなく、
ただ内側の痛みとともにある。
すると、セロトニン(完了物質)が分泌され、神経の興奮が落ち着き、
自然と「どうあっても何の問題もない」という地点にたどり着きます。
その地点に立つと、不思議なことに、外側の問題はすでに問題ではなくなっていたりします。
あるいは、対処が必要なことであっても、焦りや恐怖からではなく、
自力ではなく他力の中で、淡々と必要な行動をおのずと取れるようになります。
◆痛みのど真ん中にある「魂の望み」
ネガティブな感覚がやってくるのは、決して悪いことではありません。
それは、過去に負った神経系の傷(トラウマ反応)を、
いのちそのものが癒やそう、解放しようとしてくれているサインなのです。
痛みの感覚とただともにあることを続け、ストレス反応が浄化されていくと、
最後にひとつのものが残ります。
それは、あなたの「魂の本当の望み」です。
心が激しく痛むところには、必ず魂の望みが隠れています。
痛みが解放されたとき、「ああ、私はこれをやるために生まれてきたんだな」という
静かな気づきが、理屈ではなく、体の底からわき上がってくるはずです。
外側を変えようとする戦いをやめて、ただ、自分の内側にある神経の状態に意識を向ける。
これを日常の中で四六時中やり続けてみてください。
きっと、あたらしい感覚で世界が立ち上がり、
いのちが能動的に生かされていくのを感じられるはずです。
先日お参りした高野山のそこここに、このような標語が掲げられていました。
「生かせいのち」
引き続き、うつくしい日々をお過ごしください。