
【朗報です。6月末までに絶対見て!】2026年夏至、人類はついに救われます / 「愛をもって放っておく」ことの大切さについて
夏至が近づいてきましたね。
日本では、今週末、6月21日(日)の17時25分に夏至点を迎えます。
二至二分(春分・夏至・秋分・冬至)のタイミングは、
変化や変容を促すエネルギーがビビッドに流れ込んでくる時ですが、
私としては、今回の夏至は比較的穏やかだな、と感じています。
「何かをしなさい」という足し算のエネルギーではなく、
「それ、もう、しなくていいんだよ」
「握りしめていた癖や態度に、もう、しがみつかなくていいんだよ」
という、とても優しい、引き算のエネルギーが来ているように思います。
これは、私自身の感覚や実体験だけでなく、
個人セッションを受けてくださっているみなさまのご様子からも強く感じていることです。
◆シン人類に必須の態度「愛をもって放っておく」
いま、地球全体から、私たち人類に求められている態度。
それは、トランサーフィンの文脈で語られる、
「自分が自分らしくいることを許し、相手が相手らしくいることを許し、
この世界がこの世界のままであることを許す」という態度です。
(すみません、3つめの「この世界が〜」というのは、私が勝手に足しています。)
これを個人レベルの態度にまで落とし込むと、
「自分のことも、相手のことも、この世界のあり方も、愛をもって放っておく」
ということになります。
「放っておく」といっても、放置したり、無視したり、
存在をなかったことにするのではありません。
あくまでも、「目は離さない」のです。
愛があるからこそ、しっかり目をかけ、見守る。
けれど、「手は出さない」「口も出さない」。
これが、ものすごく成熟した愛の態度だと思うのです。
子育てを経験されたお父さん・お母さんなら、
なんとなく理解していただけるかもしれませんね。
この態度を、自分に対しても、相手に対しても、世界全体に対しても保ち続けること。
これが、これからのあたらしい地球を生きていくための人類必須の態度だと、
いま、私は感じています。
◆「何とかしなきゃ」が問題を作り出す
私たちはつい、「自分をなんとかしなきゃ」「あの人をなんとかしなきゃ」
「この世界をなんとかしなきゃ」という眼差しをもって、物事に関わってしまいます。
しかし、この世界は非常にシンプルです。
「なんとかしなくちゃいけない存在」として自分や相手や世界を見ていると、
そのまま素直に「なんとかしなくちゃいけない現実(問題)」が立ち現れてしまうのです。
「手出し・口出ししなきゃ“どうにかなってしまう”存在として見る」という態度こそが、
問題を作り出し続けているのだと、そろそろ気づくタイミングが来ています。
「もう、大丈夫。愛をもって放っておく、という成熟した態度に切り替えてもいいんだよ」
そんなお知らせが、あちこちから来ているのを感じます。
◆「愛情」と「愛」の違い
「なんとかしてあげたい」という思いは、「愛情」という言葉で表現できるかもしれません。
愛情があるからこそ、手を出したくなるし、口も出したくなる。
でも、「愛情」と「愛」は、実は別物なのです。
愛情には、「どうにかしよう」という働きかけがセットになっている気がしますが、
究極の「愛」とは、「何もしないこと」だと、最近すごく思うのです。
それはまさに、仏さまの態度です。
私たちが自分の人生に絶望し、神や仏を呪うような態度に出たとしても、
それでも仏さまは「何もしない」を選びます。
「闇に浸ることを許し、絶望することすら許し、見守ってくれている」。
この全許容・全受容こそが、愛がなければ、いや、愛でなければ、できないことなのです。
◆「救い」の感覚をアップデートする
絶望している人を見ると、私たちはつい「助けなきゃ」と手を出したくなります。
「こうしてみたら?」「こういう考え方を持ってみたら?」と口も出したくなります。
それも愛情のひとつの表現です。
でも、
「絶望の中にいたとしても、あなたは絶対に大丈夫」
という目で自分を見てくれる存在がいることこそが、実は究極の救いなのだ、と。
その事実に、いつだって自分を落ち着かせてあげることが、まずなによりも大切なのかもしれません。
もちろん、絶対的なサポートが必要な場面においては、然るべき行動は取ります。
ただ、その時も「やるべきことを淡々とやる」だけであり、
相手や自分を「救われるべき存在」として見ないことが大切です。
「相手を救わなきゃ」「自分を救わなきゃ」という思いは、
言い換えれば、対象を「救わなきゃいけない、力のない存在」として見ているということです。
その眼差し自体が、救うべき存在を作り出してしまうのです。
その罠に気づいて抜け出し、自分のことも、相手のことも、この世界のあり方も、
愛をもって放っておくことができた時。
そこに真の意味での「救い」が実現されるのだと、
いま、実体験を通して深く学ばせてもらっています。
◆絶対的なサレンダーと仏さまのポーズ
「目は離さないけれど、口も手も出さない」という態度は、
自分を生きているいのち、相手を生きているいのち、
この世界をこのようにあらしめている根源のエネルギーに対する、
絶対的なサレンダー(降参・全信頼)がなければできません。
手や口を出してしまうのは、
根源のエネルギーとしてのいのちに対する不信の現れでもあるのです。
以前、禅のお坊さんから
「座禅のポーズは、『口も出しません、手も出しません、足も出しません』というポーズなんだよ」
と教えてもらったことがあります。
なるほど、これこそが仏さまの態度なのだと、深く納得したのを覚えています。
圧倒的なBeing(ただあること)に落ち着き、
「いのちが間違うことはない。
すべては完全完璧であり、最高最善のことが常に起こり続けている」
この事実に、毎瞬毎瞬、降参していく。
その上で、いま自分にやれること( Doing)を淡々とやっていく。
それは「救わなきゃ」という恐れや強迫観念からの行動ではなく、
「そう動くことになっているから動く」という自然なものです。
それが、あくまで結果として、「救い」という事象につながっていくのかもしれません。
◆祈りのあり方を見つめ直す
今回の夏至は、全人類的に、
「救い」という言葉の意味のアップデートが求められているタイミングだと感じています。
夏至のタイミングに合わせて、各地で祈り合わせなどのイベントが開かれます。
私も「いのりサークル -れいわ-」という小さな対話の集いを開かせていただきます。
その時の「祈り」も、「世界は救うべき状況にある」という前提(恐れ)からの祈りなのか、
それとも「すでに、私たちは圧倒的な愛の中に置かれ、救われているんだ」という、
圧倒的な真実にただくつろいでいく祈りなのか。
それによって、その場から生まれる結果は大きく変わってきます。
「世界を救わなきゃ」というエネルギーで動くのは、ひとつの罠です。
そのことに目覚めていくよう促されているのが、今の夏至前のエネルギーだと思っています。
みなさまは、このお話、どのように受け取ってくださいましたでしょうか。
ぜひ、ご感想お聞かせくださいね。