【特別意識はどこまでも根深い】
「悟り」とか「目覚め」とか「救い」とか・・・
一見して、なにか「高尚」なもののように感じられるけど、
それを、いまここに「ない」ものとして扱った瞬間、
つまり、「達成すべき目標」に変えてしまった瞬間、
同時に、特別意識のエサにされてしまうという悲劇。
もし「仮に」それが達成されたところで、
「ようやく悟った私」
「ようやく目覚めた私」
「ようやく救われた私」
その特別感が、結局はこの世界との分離分断感を生み出してしまう。
そんなものを求めて探求していたの?
分離分断感が苦しくて、そこから逃れたくて、
探求を始めたんじゃなかったの?
分離分断感強めてどうするの!
本末てんとうむし!🐞
いまここに「ない」ものを「ある」に変えたら、
そしたら、すっごくいいことがあるよ!
っていう、この社会のすみずみまで蔓延ったシステム・・・
根こそぎクリアリングしたい!😆
けど、そんなのは無理だから。
私たちひとりひとりが、自分の中に瞬間ごとに湧き上がる
「特別でいたい」という意識=煩悩、を見て見ぬフリ、感じて感じぬフリせずに、
ひとつひとつ、コツコツと、クリアリングしていくしかないのですよね。
あ、ちなみに煩悩が消えてなくなることはありませんよ。
「煩悩フリーになりたい!」っていうのも、立派な煩悩ですからね!(ハマりがちな罠!😂)
特別意識をゼロにするのは不可能だってこと。
でも、出てきたら、都度クリアリングすればいいだけなので。
(刺激と反応の間にはスペースがあるのだということ、忘れないように💕)
サボれないね〜!😆
生きることはクリアリングそのものだ。
クリアリングをサボるということは、生きることをサボるということ。
今日も、やってやろうじゃないの。
深刻にならずに、愉快に、面白おかしく、ね。
遊びをせんとや生まれけむ。
いい言葉だなあ。
ちなみに画像は由佐美加子さんの「ザ・メンタルモデル」のサイトからお借りしました。
競走馬のライリー、これが私たちの姿・・・。
涙出るね・・・😢
http://mentalmodel.jp/
#ARUNE #ARUNEメソッド