【探求を終わらせたい方必見】カルマからダルマへ。背骨意識で生きると奇跡が「当たり前」になる。

【探求を終わらせたい方必見】カルマからダルマへ。背骨意識で生きると奇跡が「当たり前」になる。

先週の日曜日は、名古屋の東別院会館にて開催された、ヨーガ講師のリタさんとのコラボイベントに登壇させていただきました。
現地までお運びくださったみなさま、オンラインでご参加くださったみなさま、そして「参加できなかったけれど応援していたよ」というみなさま、ほんとうにありがとうございました!

◆「違うことをしない」と、疲れないでいられる

イベント当日は、名古屋に向かう近鉄特急の中にいる時から、「ああ、なんて幸せでありがたい機会をいただいているんだろう」と、幸せに浸っていました。
プログラム中はもちろん、「世界の山ちゃん」で手羽先を食べながら参加者のみなさまとじっくり語り合った打ち上げの時間も、帰りの特急の中でも、とにかく、ひたすら、ばかみたいに、一日中ずっと幸せを感じていました。
そして、いまもなお、ずっとずっとずーーーっと幸せの中にいます。

私は普段、奈良で野良作業ばかりしている、田舎の引きこもり人間なので、オフラインの場で、人前に姿を現すこと自体がかなりレアです。
これまでの私だったら、リアルの場でたくさんの方とお会いすると、その場はたのしくても、その後数日間は神経がぐったりくたびれて使い物にならない……ということが起きていました。

しかし今回、それが一切ないんです。
もちろん名古屋までの行き帰りの移動の疲れはありますが、いわゆる「気疲れ」がまったくありません。

思い当たる理由は、ただひとつ。
私自身が、その場において、「違うこと」を一切しなかった、ということです。

吉本ばななさんのエッセイに「違うことをしないこと」というものがあります。
「正しいことをする」のではなく、ただ「違うことをしない」。
それだけで、「違わないこと」が返ってくるという、シンプルな理論です。

これまでの私だったら、そういう場において、相手が求めてもいないのに先回りして過剰な気遣いをしたり、不必要な「お人好しムーブ」をしてしまったり……つまり「自分をはみ出した行動」を無自覚のうちに取ってしまいがちでした。

実は去年の今ごろ、自分が主催したとある場において、いちばん中心にいなければいけない私が、「違うこと」をたくさんやってしまった、と痛感するような出来事がありました。
「違うこと」は、罪悪感や無価値感、無力感をベースとした、「これをしなければ自分は愛されない」という強迫観念から出てくる行動です。
自分自身の「絶対的センター」からズレて、「よかれと思って」自分以外のものを演じて、結果、全体にもモヤつきを残すことになってしまったのです。

その反省から、この一年間、とにかくどんな場においても、絶対に自分の中心に落ち着き続けるということを意図して、静かに鍛錬し続けました。
その結果が、今回のイベントに見事に現れていました。

◆背中側に委ねて、ただ「しない」

今回は、打ち合わせからプログラム中、打ち上げの席においても、私は、1ミリも自分からズレませんでした。

自分が自分らしくあることをゆるし、相手が相手らしくあることをゆるす。
トランサーフィンの絶対的な原則から自分をはみ出させなかった。

「これをやらないのが正しいから」ではなく、ただシンプルに「しない」ことを選び続ける。
背中側にゆったりとすべてを委ねる意識(背骨の呼吸)を持ち、重心を肚に落とし、自分自身の絶対的センターに、心地よく落ち着き続ける。

オンラインの場では、だいぶ以前から、上記のことができるようになっていましたが、みなさんの体温や息遣いが直に感じられるオフラインの場でも「当たり前」にそれができたことが、私としてはすごく新鮮で、「これ、すごくいい感じだなあ」としみじみしています。

◆純度100%の「ほんとうのこと」を手渡す

今回、自分が自分をはみ出さなかった証拠として、質疑応答のあるシーンのことがすごく印象に残っています。
「人生に絶望している人にどのように接したらいいでしょうか」という、とてもデリケートなご質問をいただきました。

少し前の私だったら、嫌われないように忖度して、オブラートに何重にも包んだ、中途半端な回答を差し出していたと思います。
でもそれでは、質問してくださった方の心には、絶対に届きません。

今回は、余計な気配りや心配りを一切せず、純度100%の「ほんとうのこと」だけをそのままお渡しすることができました。

嫌われないようにする(=愛されたいという欠乏からの行動)ことを選ばず、自分の中心に落ち着き続けられたからこそできた、ひとつのハイライトだったと感じています。

◆圧倒的な愛の中で、クリエーションを始める

自分自身の絶対的センターに落ち着き続けていると、「どうしたって、私は世界や宇宙に溺愛されちゃっている」という事実、「いつだって圧倒的な愛の中にある」という事実を、すんなりと受け取ることができます。

そうなると、余計な気遣いでエネルギー漏れを起こすことなく、温存されたエネルギーを「クリエーション=創造」の方へ回していけるようになります。
愛を求めて、欠乏感からやる行動ではなく、すでに愛で満たされているからこそ、愛というものを、自分という器を通して表現していくための行動に、自分自身を向けていくことができるのです。

今回のイベントや打ち上げの席で、「探求がやめられないんです。愛されている実感がなくて、私はまだまだ苦しいんです。これこれこういう証拠があるから、私は愛されていないんです」とおっしゃる方、数名とお話ししました。

ひとくちに「たんきゅう」と言っても、「まだない」ものを探し求める方の探求(自分は愛されていないという欠乏ベースのカルマの道)と、「ただある」事実を探って深めていく方の探究(自分はすでに愛されているという充足ベースのダルマの道)の2種類があります。

はっきり言います。
「私は愛されていない」というのは、完全なる勘違いです。
どんな状況にあっても、私たちは、絶対的に愛の中にあります。

いま自分のいる世界が、どんなに悪夢のようなホラー映画だったとしても、客席のプレミアムシートに腰掛けている自分、あるいはその映画を上映している自分、なんなら劇場全体をプロデュースしているほんとうの自分に意識をシフトすれば、すべてが「恩恵」でしかなかったという事実に気づけます。

頭で考えると欠乏ばかり見てしまうので、からだ丸ごとで「それは勘違いだよ」と自分に伝えてあげてください。
背中側の空間に委ね、肚に重心を収め、ハートを中心に生きていく。
すると、自分は愛されていないだなんて、絶対に言えなくなります。

◆探求をやめたいなら、現実創造の道に入ろう

そして、その愛の感覚の心地よさに留まるだけでなく、勇気を出して「自分は具体的に何をして、どのようにこの世界に愛を表現していくのか」という能動的なクリエーション(創造、自己表現)を始めていかなくてはいけません。
Being(あること)と同時に、Doing(すること)の車輪も回していくこと。
クリエーション=現実創造を始めないから、自分のいのちをどう使っていいかわからず、また「探し求める」カルマのループに引き戻されてしまうのです。

すでに愛の中にあると自覚したら、その愛を積極的に表現していくこと。
自分自身を、圧倒的な愛を表現する器として使っていく。
そんな「ダルマの道」を、これからもみなさまとともに歩んでいけたらうれしいです。

現実創造の道に入る肚を決め、ガチで実践していく場としての「シンあるねラボ第3期」の受付を、今週の日曜日、7月12日まで延長することにしました。
「シンあるねラボ第3期」への参加をきっかけに、カルマの道を抜け出して、ダルマの道へ入る決意をしていただけたらうれしいです。

◇【7月12日まで締切延長】第3期「シンあるねラボ」参加権
https://koideyoko.thebase.in/items/99316113

自分自身の「ダルマの道(天命・天職)」がわからないという方は、個人セッションを活用してください。
私といっしょに探っていきましょう。

◇【7月12日まで締切延長】第3期「シンあるねラボ」参加権+立身立命セッション3回コース(過去、個人セッションにて、小出指導の元にミッションステートメントを作成された方限定)
https://koideyoko.thebase.in/items/125536527

◇【7月12日まで締切延長】第3期「シンあるねラボ」参加権+立身立命セッション6回コース(ミッションステートメント未作成の方 ※過去、個人セッションにて、小出指導の元にミッションステートメントを作成された方以外、全員このコースになります)
https://koideyoko.thebase.in/items/125536677

◇立身立命セッション3回コース(シンあるねラボ第3期ご参加メンバーかつ 立身立命セッションご受講済みの方で 追加セッションをご希望される方限定)
https://koideyoko.thebase.in/items/136236022

◇立身立命セッション6回コース(シンあるねラボ第3期ご参加メンバーかつ 立身立命セッション未受講の方)
https://koideyoko.thebase.in/items/149756178

関連記事

目次