「いのちからはじまる話をしよう。」ということで、私、小出が今回お訪ねしたのは、発酵生活研究家の栗生隆子さん。お人柄そのものの、やわらかくも芯のある語り口で、発酵生活の良さと、そこから開けてくる世界についてお伝えくださっている素晴らしい女性です。
栗生さんとはここ1年半ほどのお付き合いになりますが、ご縁をいただいた当初から、私には、強い直観があったのです。この方は、すでに大きな大きな「いのち」を知って、そこを直に生きていらっしゃるのではないかな、と。発酵食づくりは、その表現のひとつなのではないかな、と……。その直観が、1ミリもズレることなく正しかったことは、対話をスタートした瞬間にわかりました。
栗生さんは、大病をされています。そして、すでにそこを超えられています。
体験を通じて放たれたことばは、やはり、強いです。説得力が違います。まさしく、身体まるごと、心まるごとで「めぐりの中にあるいのち」「めぐりそのものとしてのいのち」を表現する栗生さんのお姿に、私は、ほんとうに大きな力をいただきました。そして、それはそのまま光に満ちた、調和的な未来を創造する力となっていくのではないかな……と。そんな予感にあふれています。
この記事を通して、みなさんにも、その力が届くとうれしいです。大きな気づきに満ちたロングダイアローグ、どうぞ、最後までじっくりとおたのしみくださいませ◎
発酵を通すと「気づき」を得やすくなる
小出:栗生さんのご著書『豆乳グルグルヨーグルトで腸美人!』(マキノ出版)を拝読して、「これは良さそうだ!」ってピンときて。私もここ1年半ほど、ほぼ毎日、豆乳ヨーグルトを手作りして食べています。簡単だし、心身はととのうし、なによりおいしいし……。発酵ってすごいんですね! 生活を通して、無理なくいろんな気づきをいただけるなあ、って。
栗生:そうですね。私も、いまは発酵に特化して、みなさんと一緒にたのしみながらやらせていただいているんですけれど、やはり、一番大事なのは気づきをいただくというところなんですよね。というか、正直、そこだけなんです。もちろん、これをしなくても気づかれる方は気づかれるんですけれど、でも、発酵を通すとわかりやすくなりますから。内側からインスピレーションがやってきやすくなるというか……。
小出:うん。その気づきって理屈を超えたものなんですよね。そしてそれは、そのまま「いのち」と結びついているもので……。今日はそのあたりを中心とした対話をたのしめたらいいな、と思っています。どうぞよろしくお願いします。
栗生:よろしくお願いします。
歯科治療が原因で化学物質過敏症に……
小出:では、さっそくなんですけれど、栗生さんが発酵生活に出会われた経緯をお話しいただけますか?
栗生:私の場合は、身体を悪くしたことがそもそものきっかけでしたね。
小出:かなり長い間、腸を患われていたとお聞きしていますが……。
栗生:もともとは……14歳だったかな、歯医者さんに行ったんですね。そこで奥歯に詰め物をしたんですよ。その詰め物というのが、水銀の化合物だったんです。
小出:水銀?
栗生:当時、10年間ほど、歯科治療での使用が認められていたようで、ちょうどその時期だったんですね。もちろん、その詰め物を入れた人全員にその症状が出るわけではないんですけれど、私の身体にはまったく合わなくて。化学物質過敏症になってしまったんです。それをきっかけに、とにかく身体の調子が悪くなってしまって。下痢とか、頭痛とか、めまいとかが常に起こっている状態になってしまって……。でも、病院に行って、精密検査をしても、原因が見つからないんですよ。私もね、まさか歯に元凶があるなんて夢にも思わなかったし。
小出:不調の原因が歯の治療にあったということが判明したのは、いつ頃だったんですか?
栗生:ほんとうにごく最近です。だから、それが原因だっていうことがはっきりわかったときには、すでに病はほぼ完治させていました。でも、知人に専門家がいて、「奥歯に水銀の毒が残っているようだから、念のため取ってもらった方がいいんじゃない?」ってアドバイスをくれたんですね。それで、実際に歯医者さんに行って、詰め物を外してもらったら、やっぱり中がすごく炎症を起こしていて。ああ、これだったんだ、って。その後、もっと良くなりました。
小出:そうだったんですね。ほんとうに、大変でしたね……。
栗生:そうですね。14歳から20年以上、ほんとうに苦しみました。一番つらかったのは、下痢が止まらなかったこと。でも、アレルギーなので、病院では「異常なし」ということにされてしまって。そうなるとお薬はないんですよ。
でも、下痢が止まらないと、とにかく不自由。日常生活に支障が出る。だから、安易に市販の下痢止め薬に手を出してしまって。でも、お薬が効いたのは、せいぜい最初の3年間ぐらい。そのあとも飲み続けたんですけれど、7年経った頃だったかな……お薬を飲んでも、もう、まったく効かなくなってしまったことに気づいたんですね。それなのに症状は悪化の一途を辿っていて……。
その頃には私の腸はほとんど再起不能の状態。長年飲み続けた下痢止め薬に抗生物質が入っていたんです。それによって、腸の中の、人間にとって必要な菌まで死滅させてしまいました。だから、もう、なにを食べても消化ができない。消化ができないから栄養が摂れない。最終的にはお粥さえ食べられなくなってしまって……。
小出:お粥さえ……。
栗生:だからもう、立っているのもやっとで。ずっと布団とトイレの往復状態でしたね。でも、私も若かったし、頭の中にはいろいろとやりたいことが浮かんでくるわけですよ。友達と遊びたい、こんなことを学びたい、あんなところに住みたい、海外に行ってみたいって。でも、実際は、家から出ることすら、それどころか布団から出ることすらままならない。だからこの夢は諦めなきゃいけないんだって、ひとつひとつ、必死で自分に言い聞かせて……。もうね、願望という願望、ぜんぶ奪われてしまった感じ。悲しかったですよ。
小出:考えるだけでつらいです……。
生きることも死ぬこともできなくて
栗生:そういうことがずっと続くと、人間って、どうしても死を意識するんですよね。そんなこと考えてはいけないことはわかっているのですが、でも、気がつくと死ぬことばかり考えてしまっているんです。身体の痛みもあったので、死んだら楽になれるんじゃないか、って……。疲れるんですよ。くる日もくる日も、病気を治そうとして、頑張って、頑張って、頑張って。でも頑張ってもちっとも良くならない。なにをやっても良くならない。たびたび襲ってくる身体の激痛に、やがて精神も疲弊してくるんですよね。どんなに気持ちを立ち直らせても、また落ち込むということが繰り返される……。
それでも、最初はね、もう限界だな、死にたいな、って思うことがあっても、せいぜい1年に1回ぐらいだったんです。1年に1回ドーンと落ちこんで、1ヶ月ぐらいかけて立ち直る……っていうのを、数年間、ずっと繰り返していた。でも、そうこうしているうちに、落ち込みのスパンが短くなってきて。半年に1回になったんですよね。それがだんだんと、3か月に1回、2か月に1回、1ヶ月に1回って、どんどんどんどん……。そんなあるとき、私の意識の中で、ついに限界を迎えてしまって。
小出:限界……。
栗生:もう細い精神力だけで生きていたようなものでしたから。精神のエネルギーが枯渇してしまったんですね。いままでは、生きるか死ぬか、っていうふたつの選択があったんですけれども、そのときは、生きることも、死ぬことも選択できないという状態になってしまって。
選べるうちはまだいいんですよ。どちらもエネルギーですから。生きるもエネルギー、死ぬもエネルギーだと思いますので。でも、そのときの私には、どちらの方向のエネルギーも、一切湧かなくなっていた。ああ、私は、もう、どちらを選ぶこともできないんだって。そうしたらパニックになってしまって。生きるベクトルと、死ぬベクトルが、互いに正反対の方向に引っ張られて、ハレーションを起こしてしまったんです。それで、その瞬間に、自分の意識がね、ポンッと飛んでしまったんですよね。肉体を飛び出して、意識だけになってしまった。
小出:意識だけ……。
栗生:よくね、臨死体験をした人とかは、自分の姿を見ていたっていうんですけれど、私の場合はそういうことはなくて……。もう、時空間の世界って言ったらいいんですかね。かたちも、色もなにもない世界。
小出:光も、闇も?
栗生:ない。なにもない。ただ、意識だけがある状態です。
小出:想像もつきませんけれど……とてつもなく大変な体験をされたんですね……。
肉体がなくなっても、苦しみはなくならなかった
栗生:それで、私、そのときまで、さんざん「死んだら楽になれるんじゃないか」みたいなことを考えていたわけですよ。どうしようもない痛みを抱えていたので、肉体を捨てたら、絶対に楽になれるはずだって。でも、意識だけになっても、苦しみがまったく変わらなかった。同じだったんです。不思議に思いました。あれ? これはおかしいぞ、と。
それで、その世界では、どういうわけか、時間の設定ができたんですよね。○年後、という風に設定したら、意識だけがそこに飛んでいける、っていう。
小出:へえ……。
栗生:それで、ほら、49日とか、1周忌とか、3回忌、7回忌とかってありますよね。区切りごとに法要があるっていうことは、やっぱり、現世との断ち切りに時間がかかるときもあるんだなっていうことを、ふと思って。じゃあ、せっかくなら、この苦しみがなくなるところまで行ってみようと思ったんです。
最初、試しに49日後に設定してみたんです。だけど、まったく苦しみが減らなかった。そうか、あまりにも長く苦しみすぎたから1年はかかるかも。じゃあ1年後はどうかな? 変わらない。3年はかかるかな? 3年後。変わらない。10年後。変わらない。30年後。50年後。まったく変わらない。で、100年後まで行ってもぜんぜん変わらなくて、そのときにまた、あれ? って思ったんですよ。100年経ったら、たいていの人の人生は終わっているはずだよね、って。もし、まともに天寿をまっとうしたとしても、私の苦しみは、まったく変わらないのか……って。
そうなると、もう、ヤケですよね(笑)。じゃあ、この苦しみがなくなるところまで、とことん行ってみようって。そこからさらに200年後、500年後、1千年後、5千年後、1万年後、1万5千年後、2万年後……。それで2万5千年後まで行ったときに、もう、数の感覚がわからなくなっちゃって。ああ、この先は、無限だ、って思ったんです。そのときにはっきり思いました。時間という概念はなく、無限だ、って。
小出:無限。
栗生:無限です。その瞬間でしたね。「ああ、まずい、帰ろう!」って、強く思ったんですよね。それが何なのかはわからないけれど、私には、この身体じゃないとぜったいにわからないことがある、って。あれだけ脱ぎ捨てたいと願っていたけれど、この身体じゃないと体験できないことがあるんだ、って。病気で、ほんとうにボロボロで、オンボロのポンコツ車みたいな身体だけど、私はこの身体じゃないとわからないことがある、だから帰ろう、って。そう決めて、帰ってきました。
小出:そうでしたか……。
いま、あるがままを受けいれない限り、次はない
小出:壮大な旅をされたのですね。よくぞ、戻っていらっしゃいました。おかえりなさい。
栗生:ねえ、ほんとうに。ただいま!(笑) そうして、意識の世界から帰ってきて、部屋で目を覚まして……。現実の世界でいったいどれだけの時間が経っていたのかはわからない。周りの状況も、私の身体の状態も、なにひとつ変わっていなかった。だけど、唯一変わったのが、そのときには、もう、一切の個人的な願望がなくなっていたんですね。「ただ、生きる」ということ以外、綺麗さっぱりなくなってしまっていた。
それで、こう思ったんです。私は、もう、ただ、生きていくだけでいい。神さまが、もういいよって言うところまで、私のいのちが尽きるところまで、ただ生きよう、って。
小出:ただ、生きよう……。
栗生:うん。私は、その瞬間、自分を受けいれたんですよね。病の自分をまるごと受けいれた。病でいいよ、って。このままずーっと病の自分のままでいいよ、って。それはもう覚悟に近いんですよね。そうやって覚悟を決めたら、不思議なことに次の展開が向こうからやってきて、おかげさまで、いまは健康に毎日を過ごさせてもらっているんですけれど……。
まずは、自分を受けいれたんですよね。あるがままの自分を愛すること。いま自分に与えられた状況に感謝すること。それが病であっても、健康であっても、なにひとつ変わらないということ。病気だから、不健康だから悪いなんて、そんなことはぜったいにない。ただ病気だというだけ。「良い」「悪い」の判断は自分がしているだけであって、事実は、ただ、自分は病気だというだけ。それを認め切ってしまうこと。
もちろん、本人は大変だし、つらいし、苦しい。他人が聞いたら、なにを言っているんだって怒られるかもしれない。だけど、私も同じぐらい苦しんだから、これはもう、はっきり言うことができます。ほんとうに、いま、あるがままを受けいれない限りは、次はないです。
「生かされている」という光
小出:自分の「いま」を受けいれ切った先に、次の展開がやってくる……。すごくよくわかるような気がします。具体的には、栗生さんの人生に、どんなことが起きてきたのでしょう?
栗生:たまたまね、知り合いに、足元をあたためて、血液のめぐりをよくする自然療法を試していた方がいて。その方に勧められて、その療法を試してみることになったんです。それが私には合っていて。おもしろいですよね。だってそのとき、私には「治そう」っていう意識はなかったのに。ただ、淡々と、目の前にそれがやってきたから、じゃあ、やります、って。
小出:そこには一切の期待感がなかったんですね。それこそご縁のままに、淡々と、やることになっているから、やっている、みたいな感じですかね。
栗生:そうそう。ただただ「やる」ということが起きていて……。そこにまったく期待感はなかったですね。でも、淡々と取り組んでいくうちに、ほんとうに、血液がね、全身をめぐっていくのが、理屈じゃなくわかって。その瞬間、久しぶりに、光を見た気がしたんです。
小出:「光」ですか。
栗生:なんと言えばいいのかな……。「生かしてもらっている」、だから「生きてみよう」って。強いエネルギーが湧いてくるのを感じたんですよね。それまでは「ただ生きる」っていう漠然とした気持ちだけがあったんですけれど、自分の身体を血液がぐるぐるとめぐっていくのを感じた瞬間に、「私、生きられるかも」「生きてみよう」って思ったんです。あれは、明らかに、「生」の方向に強いエネルギーをもって走り出した瞬間だった。
いのちは光に向かって動いていく
小出:なるほど……。栗生さんが見出した光というのは、「いのちの光」と呼べるようなものだったのではないでしょうか。
栗生:ああ、そうです。いのちの光。まさしく、それです!
小出:いのちは、光を目指すんですよね。あるいは、いのちそのものが光と言ってもいいかもしれないけれど。
栗生:ほんとうに! ほんとうにそうなの。私、大好きな映像があるんです。無数の粘菌アメーバが結集して、ひとつの胞子ができるまでを顕微鏡で見つめた映像で。いまから30年以上前に撮られたものなんですけれど。ご覧になったことありますか?
小出:胞子ができるまでの映像ですか? たぶん、ないと思います。
栗生:最初、すべての細胞って、意識を持たない、ただのアメーバ状の物体なんです。それが何回も何回も、合体して、分裂して、合体して、分裂してっていって、だんだんとくっついて一カ所に集まっていくんですね。それがある大きさまで育った段階で、どういうわけか集団としての意識を持ちはじめて、その瞬間に、光の方向に向かって伸びていくんです。中心の部分がぶわ~って盛り上がって、そのまま上に向かって伸びていって、一本の線ができて。やがて先端部分に球状の物体ができるんですね。その段階まで行くと、土台部分の細胞たちが、みずからいのちを断ち切るかのように、先端部分だけをプチンって切り離すんです。そうやって生かされた球状の先端部分が、あの小さな小さな胞子のひとつになるんです。
小出:へええ……!
栗生:いのちって、意識を持った途端に、光に向かって動きはじめるんですよね。その先に、また、いろんないのちが展開していって……。私、そのことにものすごく感動して……。
小出:その映像、見てみたいです! いのちの根源的な願いが伝わってくるような映像なのでしょうね。
栗生:そう、ほんとうに素晴らしい映像なんですよ。……って、ごめんなさい、ちょっと脱線してしまいましたね。
小出:いえいえ、ぜんぜん! 素敵なお話をありがとうございます。
すべては「めぐり」の中にある
小出:話を元に戻します。ご自身に合う療法に出会われて、「いのちの光」を見出されて……そこから先の展開をお聞かせいただけますか?
栗生:はい。血液が身体中をめぐるようになって、そこからどんどん健康を取り戻していって、その過程で、これまた偶然なんですけれど、発酵に出会って。手作りの発酵食を摂ることで、死滅していた腸内の菌がどんどん甦っていったんですね。同時に発酵食の菌によって、体内に溜まった毒素もどんどん解体されて、押し出されていって。そうやってどんどん良い循環が生まれていって……。おかげさまで、いまでは、一応、病は、完治しています。
小出:よかった……。おめでとうございます。ほんとうに、大変でしたね。お疲れさまでした。
栗生:ありがとうございます。でもね、ここが重要なんですけれど、病が治ってうれしいというのはもちろんあるんですけれども、それよりも、あんな状態になっても、ちゃんと再生、蘇生するんだっていうことを、自分の身体で体験させてもらったことが、私としてはとても大事なことだったと思っているんです。
小出:「再生」ですか。
栗生:うん。話はいきなり大きくなってしまうんですけれど、人間の身体の中で起こっていることって、そのまま、外の世界で起こっていることにあてはめて考えられると思うんですよ。
小出:それは、発酵食との出会いを通じて気づかれたことなんですか?
栗生:そうですね。発酵食を作っていくと、その過程で、食材がどこでどうやってできているのかということに、おのずと関心が向いていきます。大豆とか、小麦粉とか。そうすると、いろんな問題が見えてくるんですね。種の問題、栽培の問題、肥料の問題、あとは添加物の問題。社会的なことがぶわっと見えてくる。すると、今度は農業を取り巻く環境そのものにも目がいくようになるんです。
小出:環境そのものにも。
栗生:はい。すべて循環していますから。山でミネラルが生まれて、川が運んで、海に流れて、そして海の水が蒸発して水蒸気になって、雨になって、森を育て、山を育て、そして海を育てる……。自然界は、すべて、循環の中にある。
人間の身体もこれとまったく同じなんです。私の身体でそれが証明されました。足元を温めたことによって、血液が循環しはじめ、停滞していた細胞、臓器が蘇っていきました。身体の中は、頭から各臓器、手足の末端までぜんぶつながっていて、循環することで「すべてが生き出す」ということを実感しました。身体の中も、自然界と同様、切り離されたところはひとつとしてなかったんです。
小出:自然界も、人体も、大きな「めぐり」の中にあるのですね。すべてがめぐっているからこそ、生きていられるというか……。
栗生:そうなんです。だからね、いま、いろんな公害とか、化学肥料とか、それこそ放射能とかで死んでしまった土が問題になっているでしょう。これはもう元には戻らない、絶望的な状況だ、みたいなことが言われているんですけれど、でも、私は、そんなことはぜったいにない、って思っているんです。なぜなら、あんなにひどい状態だった私の身体でさえ再生したのだから。だから、どんなにひどく汚染された環境も、ぜったいに再生できる。
再生への具体的な道筋は、いまの私には見えていません。でも、かならず、自然発生的に、なにかの手立てが見えてきて、道は開けてくると思うんです。そこは信じています。
小出:力強いおことばです。
なくなったからこそ満たされた
栗生:絶望の中から希望が生まれてくるとも言えます。私自身の治癒の道も、一旦すべての望みがなくなって、まっさらな状態になったところから開けてきたわけですし。なにもなくなったところに、すべてが与えられました。なくなったからこそ満たされたというか……。
小出:なくなったからこそ満たされた!
栗生:私たち人間って、いっつも、先に満たすことばかりを考えてしまうんですよね。でも、「ある」で満たしてしまうと、入ってくるべきものも入らなくなってしまう。だから、一旦すべてを手放して、「ない」という状態に立ち返ってしまわないと。
小出:道元禅師も「放てば手に満てり」っていうことばを遺していますね。握りしめたら握った分のものしか手に入らないけれど、ひとたび手を開いてしまえば、すべてが、ほら、手のひらの上に……。
栗生:素晴らしい!
小出:ねえ。いいことばですよね。
栗生:やっぱりね、「無」がすべての基本だと思っています。
小出:ほんとうに。「無」から「すべて」が立ちあらわれてくるんだっていうことを、一度でもいいから、理屈を超えたところからストンと理解してしまえば、手放すことへの恐怖心も、一気に薄れてしまいますよね。そうすると、いろんなことが滞りなく流れて、おのずからあたらしい展開が次々に生まれていって、良い循環の中で、ただただリラックスして、流れにゆだねるようにして生きていけるようになる。
栗生:うん。もし滞ってしまってもね、何度でも「無」に帰ればいいんです。
小出:「無」に帰ってしまえば、そこからまためぐり出しますものね。自然はおおらかですね。
発酵生活をはじめると穏やかになっていく
小出:栗生さんご自身も、もう、自然そのものみたいな方で……。お話ししていると、ゆったりと、穏やかな気分になってきますよ。
栗生:そうですか?(笑) ありがとうございます。でもね、私の周りの方々を見ていても思います。発酵生活をはじめられたみなさん、やはり、どんどん穏やかになられているように思います。その傾向はあるように思いますよ。
小出:それは、やっぱり、「つながり」というか、「めぐり」の中に自分が生かされているということを、それこそ身体まるごと理解できるようになるからですか?
栗生:そう。発酵食を手作りしますよね。味噌でも、甘酒でも、ヨーグルトでも、パンでも、なんでもいいんですけれど。とにかく、そういうものを作っていくと、その過程の中に、生態系そのものが見えてくるんです。
小出:生態系そのもの、ですか。
栗生:菌の活動には、「よろこび」と、「たのしみ」しかないように思います。……っていうと、ちょっとファンタジックに聞こえるかもしれないけれど。つまりそこには「進化」の過程しかないんです。この世界には無数の種類の菌が存在しているんですけれど、そのそれぞれに役割があるんです。その役割の最たるものが、いのちのリレーです。
小出:いのちのリレー。
栗生:発酵食って、ぜんぶ、いのちのリレー、いのちのバトンタッチの結果として完成するものなんですよ。たとえば味噌を作るとき、大豆と麹と塩を入れた甕の中でどんなことが起きているのかというと、まず、乳酸菌がうわ~っと増えて優勢になるんですね。でも、ずっとそのままの状態が続くのかというとそうではない。ある段階まで来たら、乳酸菌はみずから失活します。
小出:失活。活動を停止するんですね。
栗生:そうです。その後、酵母が乳酸菌に代わってどんどん増えていくんですね。酵母は失活した乳酸菌を餌にして、いのちをつないでいきます。そのとき、乳酸菌はなにも抵抗をしないんです。負けまい! 食べられまい! と力んで争うことなく、むしろ酵母と手をつなぐようにして、共にしていく。つまり、乳酸菌は乳酸菌としての役割を、ただただまっとうするんですね。
こうしたいのちのリレーの結果として、味噌という物質があらわれるんです。不思議だと思いませんか? 原材料は大豆と麹と塩ですよ。まったく別々のものです。それが菌のはたらきによって、甕の中で、味噌という新しい姿として現れる……。
小出:すごい……。これ、まさに、仏教の言う「縁起」ですね。すべてのものには定まった姿かたちはなく、縁によってどんなものとしてもあらわれるっていう。すべては大きな大きな「めぐり」の中にあって……。
栗生:ほんとうに。分離しているようで、実はすべてが同じひとつの「めぐり」の中に生かされている。発酵食を作っているとね、そのことが理屈じゃなくわかるんです。
小出:すごく素敵です。
「いのちのリレー」の中に生かされている
栗生:いまはたまたま味噌を例に出しましたけれど、すべての発酵食づくりの過程で、これと同じことが起きているんですよ。最初に乳酸菌があらわれて、乳酸菌が死滅する頃に酵母菌があらわれて、酵母菌がアルコールを作り出して、そのアルコールで酢酸菌が育っていく……。ぜんぶ、いのちのリレーをしているんですよね。この循環が見えてくると、不思議なことに、自分自身も、そこに共鳴していく。人と争おうという気持ちがなくなってくるんです。
小出:それはすごいですね!
栗生:自分も、ただ、自分の役割を果たしていくだけだなあ、って。理屈じゃなく、そう思います。やっぱり、最終的においしいものができあがって、それを食べたときに、ことばではない気づきがあるんですよ。ただただ、「おいしい」。それから「ありがとう」っていう感謝の気持ちが湧き起ってきて……。
小出:うん。おいしいものを食べたときに、反射的に「ありがとう!」と思ってしまう気持ち、とてもよくわかります(笑)。
栗生:そうでしょう(笑)。それとね、さっきも言いましたけれど、まったく別々の素材を合わせて、ひとつのまったく新しいかたちを作り出すのが、発酵のおもしろいところだと思っていて。大豆と麹と塩で味噌が、小麦粉と水でパンが生まれる。そして、たとえば味噌だったら、その先に、たとえば味噌汁とか、味噌漬けとか、味噌煮込みとか、どんどんいろんなものが展開して、それが私たちを生かしてくれて……。でも、一粒の大豆からそんな風に広がっていくなんて、最初の段階では、まったく想像もできないんですよ。
小出:ぜんぶ、巨大なご縁の網目の中で起きてくるんですよね。そしてその網目って、決して辿り切ることはできなくて……。
栗生:そうなんです。そういうのを知っていくと、やっぱり、私たちって、決してひとりきりで生きているわけじゃないんだなっていうことを、ごく自然にさとるし。「共存」とか「共栄」とかっていうことばの意味が、おなかの深いところから理解できるようになるんですよね。すると、誰かと自分とを比べなくなるし、争わなくなる。
小出:それは、きっと、大きな「安心」とともに生きていけるようになるからなのでしょうね。すべてとつながりあって、大きな循環の中に生かされているんだっていうことがわかると、不安感、恐怖感が消えてしまうから。
人間が誰かやなにかと争い続けてしまうのはどうしてなのかというと、やっぱり、存在の根底に恐れがあるからだと思うんですね。自分ひとりが世界と切り離されているような感覚があると、自分のひとりの力でどうにかサバイバルしていかなきゃならないという風に思ってしまって、結果、過剰防衛に走って、自他を傷つけるような言動を続けてしまう。
でも、そんな孤独感の中で生きていても、ほんとうにおいしいものを食べたら、人間、誰でも「ありがとう」って思うはずだから。そこから、視界が開けてくることも、あるんじゃないかな。
栗生:うん。おいしいものを食べると、ごくごく自然に、感謝が湧き上がってくるんですよね。でも、それは、単純に舌がよろこんでいるだけじゃないんですよ。その食材を育てた大地や、雨や、日光や……。それを栽培してくださった人や、収穫してくださった人や、運んでくださった人や、調理してくださった人や……。そこまでずーっと思うとね、やっぱり、自然に「ありがとう」って。
小出:うんうん。
「安心感」がなによりの薬
小出:お話をお伺いしていて、もうずっと、じわじわと感動しっぱなしです。やっぱり、すべて、「めぐり」の三文字に集約されていくんだなあ、って。
栗生:そう。そうなんです。ほんとうにそこだけです。それこそ、さっき言ったいのちのリレーであったり、いま言った物の流れであったり……。すべてが大きな循環の中にあるんですよね。
あと、さっき小出さん、「安心」っていうことをおっしゃいましたけれど、発酵生活をしている方々って、ほんとうに、大きな安心感の中で生きていらっしゃるんですよね。最初は、単純に、どんなに大きな災害が起こって、物流がストップしたとしても、お味噌やお漬物が家にはあるから、まず半年は食べていけるっていう安心感。6か月あればね、情勢は、ある程度まではととのいますから。そこまでは、これでなんとか生きていける、って。これがひとつ。
あとは、発酵食をいただいている自分に対する信頼感。ちゃんとした発酵食、菌が作り出した食べ物をいただいていると、自然と身体がととのってくるので、病気にかかりにくくなる。もし病気にかかっても、発酵食の力を借りて治していけるっていうのがあるから、どっしり構えていられるんですね。
小出:それも、きっと、感謝とセットになった安心感なのでしょうね。
栗生:うん。やはり、感謝がベースにないと。いまね、ちょっと健康ブームやなんかで、発酵食にも注目が集まっていて。私の元にもよく質問が届くんですよ。たとえば「豆乳ヨーグルトは、一日何グラム食べたらいいですか?」とか、「この食品を食べると、具体的にどんな効果が出ますか?」とか。でも、大切なのはそこじゃないんですよね。まずは、食材を保存できたことに感謝する。それによって自分や家族が生かされていることに感謝する。それを食べたことによって腸内環境が良くなるということに感謝する。心と身体が元気になっていくということに感謝する。この順番が大事なんです。ここを間違えてしまうと、なににもならないと思うんです。
小出:あんまり「効果」とか「効能」ばかりに注目してしまうと、大事なところを見失ってしまいますよね。それこそ、発酵の醍醐味って、大きな「めぐり」の中に生かされているという安心感を理屈を超えたところから知ることにあるのに、西洋系の医薬品の代用としか見られないのは……やっぱり、すごくざんねんなことだと思います。
栗生:そう。ぜんぶ逆なんですよね。ほんとうは、安心感がなによりのお薬なんです。
小出:安心できると、心と身体の力が抜けて、視野が広がって、そうするとさらにクリアに「めぐり」の中にあるいのちが見えて……。そうやって、どんどん良い循環が生まれていくのでしょうね。
栗生:うん。そうなると、人間、やさしくもなれるしね。だから、ほら、災害があったあとに、みんなが食べ物を求めてお店に殺到するでしょう。それが悪いことだって言いたいわけじゃないんだけれど、でも、できる人はお家で保存食を作って常備しておけば、ほんとうに必要な人がお店で買えるようになるじゃないですか。
小出:そうすれば、みんなに平等に食べ物が行き渡りますものね。忙しくて、どうしてもお店で売られているものに頼らざるを得ない人にも、ちゃんと。
栗生:そういう風に、少し、他の人のことも考えられるようになっていくので。
小出:まさしく調和的な暮らしが実現していくわけですね。
発酵はまさしく錬金術!
小出:私も、豆乳ヨーグルトを自分で作るようになって初めて知ったんですけれど、発酵食づくりって、思ったより簡単なんですよね。
栗生:そう、ほんとうに簡単なんです。
小出:ねえ。私も、最初は本に書いてある通りに、玄米から真面目に菌を起こしてヨーグルトを作っていたんですけれど、ある日、ふと思いついて、麹の甘酒の上澄みと豆乳を混ぜて、そのまま放置してみたら、めちゃめちゃおいしいヨーグルトが超簡単にできちゃったんですよ(笑)。興奮しました。すごい! これは錬金術だ! って。
栗生:どこからでも菌は持ってこられますからね。まさしく錬金術。
小出:しかも、ほとんどなんの技術もいらない錬金術ですよね。菌は、自然界に当たり前のようにして存在しているわけで。だから、いざとなったら菌の力を借りて、なんでも醸して食べてしまえばいいんだ、って。そう思うと、それだけで心がどっしりするし。自分が安定したら、いまのお話みたいに、周りにもやさしくなれるし。そこから調和的な世界が開けてくると思うし。
だから、私も発酵生活初心者なので、あんまり偉そうなことは言えないけれど、でも、できるだけ多くの人に発酵に触れて欲しいな、って思いますね。ほんとうに、いろんな気づきをいただけるので。実際、まったくハードルの高いものじゃないですし。
栗生:うん。各家庭で、発酵食をひとつでもいいから作って、常備してもらうことが、私のいちばんの願いですね。まずはひとつでいいんです。そこから大きく広がっていくものが、かならずあるので。私の役目は、させてもらえるのであれば、それを縁ある方々に伝えていくこと。
小出:役目。さっきも、菌にはそれぞれ役割があって、彼らはただただそれを果たしているだけなんだ、っていうようなお話がありましたよね。でも、これも、やっぱり、菌だけじゃなくて、人間もそうだし、すべてにおいて言えることなんじゃないかな、って。
栗生:菌の世界で起こっていることは、外の世界でも起こっていますからね。
小出:きっと、ほんとうにそうなんでしょうね。
全体の中で、個としての役割を見出す
小出:それに近いお話で、私、最近、生物学者の福岡伸一さんと作家の川上未映子さんの対談を拝読したんですね。その中で、福岡さんがこんなことをおっしゃっていたんです。
自己とは何か、という問いに生物学はどこまで答えられるかわかりませんが、一つヒントになるのは、細胞のメカニズムです。細胞はあらかじめ心臓の細胞になったり、脳の細胞になったりといった風に機能が決まっているのではなくて、「君が心臓になるなら、僕は筋肉になる」とか、「君が脳細胞になるなら、僕は頭がい骨になる」といった風に、まわりの細胞の動きにしたがって、まさに「空気を読みながら」変化していくんです。一つの細胞はせいぜい前後左右の細胞としかコミュニケーションがとれないのに、全体としてはうまく機能するようになっている。これを「相補性」と言います。反対に一つの塊になった細胞をバラしてしまうと、自分が何になったらいいかわからなくなってみんな死んでしまうんです。細胞よりさらにこまかいタンパク質や、分子のレベルでも同じことが言えて、パズルの一ピースのように組み込まれるとある役割を果たすけれども、一つだけでは何の役にも立たない。ほとんど無限の入れ子構造が成立しているんです。
(文春文庫『六つの星星 – 川上未映子対話集』 福岡伸一との対談「生物と文学のあいだ」より抜粋)
このお話が私は大好きで。やっぱり、自分の役割というのは、決して固定化されたものではなくて、全体からの要請によって生まれてくるものなんだなあ、って。でも、この「全体からの要請」「全体からの呼び声」というのは、「俺が俺が!」「私が私が!」って、ひとりで力んで頑張ってしまっているうちは、決して聞こえないものなのかもしれない。全体としてのひとつの「いのち」にくつろいでしまわないことには、菌や細胞みたいに、調和的に、流動的に生きていくのは難しいのかもしれない。
栗生さんは、ご自身の経験を通して、「めぐり」の中にある、全体としての「いのち」の存在に気づかれて。そこから反射されるようにして、ご自身のお役目を見出されて……。ほんとうに素晴らしいです。
栗生:いえいえ。小出さんもそうでしょう。全体の中で、小出さんにしかできないお役目を、しっかりと果たしていらっしゃいますよね。
小出:ありがとうございます。そうだったらうれしいな。
診療台の上ではじまって、診療台の上で終わった
栗生:私は、もう、ひとりきりで苦しんでいた栗生隆子の人生は終わったと思っています。あとはもう、全体の中で、与えられた役目を果たしていくだけだな、と思っているんです。
最初に少しお話ししましたけれど、半年ぐらい前かな、歯医者さんに行ったんです。それで、長年の体調不良の原因だった奥歯の水銀の詰め物を取って……。そのあとにね、その部分に、セラミックの歯を入れてもらったんですけれど、それがピタッっとはまった瞬間、なんだか涙が出てきてしまったんですね。
小出:涙が。
栗生:14歳の頃の私の歯を、そのままはめてもらった、って。理屈じゃなく、そういう感じがしました。そうしたらね、涙とともに、14歳からの記憶が、ぜんぶ、まさしく走馬灯のように、目の前に流れていって……。そのとき、ぜんぶを見たんです。
小出:ぜんぶ、ですか。
栗生:ぜんぶです。14歳のあの日から、あんなことがあって、こんなことがあって……って。まさしく、ぜんぶ。診療台の上ですべてがはじまって、診療台の上ですべてが終わって……。そう、「終わった……」って思ったんですよね、あのとき。14歳から、ほんとうに長かったけれど、いまここで、ぜんぶ終わった、終わらせることができた、って。
小出:苦しみの中にあった栗生隆子の人生という物語を、無事、着地させることができたんですね。
栗生:そうなんです。
ひとりひとりが自分の役割に気づけば……
栗生:でも、不思議なのは、私は、その間、ずっと診療台の上にいた、ということなんです。ただ、診療台の上にいて、なにもせずに、ただ、見ていたんです。すべてを。最初から、最後まで。診療台の上から、1ミリも動かずに。
小出:ただ、すべての記憶を、映像として見ていた?
栗生:うん。まさに映像。長い長い映画を観ていたようなものですよね。
小出:映画ですか。じゃあ、それが実際にあったことなのかどうかは……
栗生:ぜったいにわからない。
小出:ぜんぶ、診療台の上で、「いま」見たことで。
栗生:そう、14歳からの長い苦しみの記憶を、私は、「いま」見たんだ、って。でも、もう、終わったんだ、って。もう、どこにもないんだ、って。
小出:すごいお話です……。
栗生:でもね、それがすべて実体のない記憶の産物に過ぎないとしても、私は、いま、その経験を活かすことができるから。
小出:それこそ、ご自身のお役目として。
栗生:そう。経験を活かして、自分の役割を、ただ、果たしていけたらいいな、って。その先になにが展開されていくのかはわからない。でも、みんなでひとつのいのちを、それぞれが、それぞれに与えられた役割をしっかり果たしていくことによって生きていくことが、そのまま光の方向に進んでいくことにつながっていくから。その確信だけはあるんです。
だからね、それは、私ひとりだけじゃできなくて。『スイミー』じゃないけれど、みんなが、全体の中で、それこそ大きな「めぐり」の中で、自分自身の役割ができたらいいですよね。発酵生活の良さを伝えていくことで、ほんの少しでも、そのお手伝いができたらな、と思っています。
小出:ひとりひとりの目覚めの先に、ほんとうの意味で「平和」な世界が、きっと、力強く開けていきますね。おなかの底に響いてくるような、素晴らしいお話でした。栗生さん、本日は、ほんとうにありがとうございました。
栗生:こちらこそ、たのしかったです。ありがとうございました。
【栗生隆子(くりゅう・たかこ)】
発酵生活研究家。
シンプルな暮らし、家庭でできる発酵生活を実践したところ、長年の腸疾患を自然治癒力で完治。
その経験から、目に見えない菌が健康にも環境にも大切な役割をしていると実感し、発酵への理解を深める。
カラダの中の仕組みは自然界と同じと気づき「発酵・循環・調和」をテーマにした執筆活動や国内外で講演を行う。
足下を温め、心もカラダも穏やかになる、血液の循環をさせる「冷えとり健康法」も実践。
著書に「豆乳グルグルヨーグルトで腸美人!」(マキノ出版)、「植物性乳酸菌の力で腸キレイ TGG(豆乳グルグル)ヨーグルト 」(永岡書店)、『体も家もピカピカになる「お米の発酵水」』(扶桑社ムック)。その他、監修本も多数。
ナチュラルシフト共同代表。
発酵全般を楽しむサイト「facebook/TGG豆乳ヨーグルト同好会」の管理人。
◎blog 「ようこそ!発酵カフェへ」
http://ameblo.jp/cafe-baum/
◎facebook「TGG豆乳ヨーグルト同好会」
https://www.facebook.com/groups/721334441212364/