
【究極の真理を語ります】探究の終わりに見えるものとは?
トーク部分のみ(全体公開)
https://youtu.be/K5jeKCD8N8M
瞑想会全編録画(1ヶ月限定公開)
https://youtu.be/jR2RONxUk3I
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○○だから●●できない・・・
あるいは、
○○だから▲▲しなきゃ・・・
それってホント?
そう問いかけるところから、真の解放は始まっていくのだと・・・
ここ最近の私自身の体験から、超リアルに感じています。
完成させられないから本を出せない・・・
それってホント?
未完成(=「シン化」し続けるあり方)のまま発表しちゃいけないっていう決まりはないし、
そもそも本という形態じゃなきゃいけないっていう決まりもないよね?
ってところから「あるね文書」の発明に至ったように
(「あるね文書」ってなんじゃい、って方は動画を見てね。笑)
自分の中の「常識」にヒビを入れるところから、
自由というものは発露されるのだなあ・・・と。
みなさんの中にある
○○だから●●できない・・・
○○だから▲▲しなきゃ・・・
こういった類の思い込みに、思い切って、
疑いという名の石を投げてみてください。
「○○だから」も、「●●できない」も、「▲▲しなきゃ」も、
それってホントにホントにホントなの?
ぜ〜〜〜んぶ、真っ赤なウソかもしれないよ? って。
「探究に終わりはない。
すべての探究の最後は初めにいた場所に戻ることであり、
その場所を初めて知ることである。」
(T.S.エリオット)
この言葉の意味が、いま、かつてないシン度で、
私自身に感動を与えてくれています。
探究の終わりの景色・・・
終わらない感動を、ともに、味わってください。
「あるね文書」(仮)6月中にお披露目できるかな、と。
たのしみにしていてくださいね。