【鬼すら、神。恐れすら、愛。】
今日は節分。
旧暦の大晦日だ。
「鬼(オニ)」という字の、一番上のツノ( 「’」←これ )をとると、
「カミ」という読みに変わるのだ、という話を、いつか聞いたことがあった。
鬼女から護法善神に生まれ変わった鬼子母神は、
だから、ツノのない文字で表記されることが多いのだという。
ことの真偽はともかくとして、面白いお話だな、と思う。
鬼として生きるか。
神として生きるか。
人は、いつだって、その「あわい」に生かされているのだと思う。
(『鬼滅の刃』の最強の隊士たちが、
「柱」という、神の単位で呼ばれるのにも意味があるのだ。)
鬼のような自分も、
神のような自分も、
いつだって、同時に存在している。
どちらかだけ、ということはない。
というか、
鬼と神は、そもそも対立概念ですらない。
鬼すら、神。
恐れすら、愛。
すべてが、はじめから、
まるっきり「ゆるされて」存在している。
その事実に、肚の底から降参してしまった時。
人は、「人間」ということばのほんとうの意味、
そして、自分自身の真の姿を知ることができるのだろう。
扉はいつだって開かれている。
世界は、思っている以上に、やさしいところみたいだ。
#ARUNE #ARUNEメソッド