趣味の悪い遊び

【趣味の悪い遊び】

すべてこの世は陰陽半々にできている・・・らしい。

「絶対的に善い人」もいないし、
「絶対的に悪い人」もいない。

誰もかれも、何もかも、みな「半々」なんだ。

話をわかりやすくするために、

「あの人は真の人格者だ」と言ってみたり、
「あの人は人格的に問題がある」と言ってみたり、

そんなふうにして「遊んでいる」だけ。

あはは! 趣味の悪い遊びだね〜。

かと言って、

「目の前の相手の良い面、光の側面だけを見よう!」

というのも不自然な話。

その時々に、自分の元で再生される、
誰のものでもない「未完了の記憶」の性質によって、
目の前の事象(人・物・事)の光と影、
そのどちら側によりフォーカスが当たるかが決まってくる。

それは自分では選べない。

ただ、忘れてはいけないのは、

「刺激と反応の間にはスペースがある」

という事実。

どんな刺激(=未完了の記憶)がやってきても、
そこでクリアリングをすることができれば、

つまり、
どんな「記憶」にも、
ただ「あるね」の光を当ててあげることができれば、

「善い」とか「悪い」とか、
「正しい」とか「間違っている」とか、
「美しい」とか「醜い」とか、
「優れている」とか「劣っている」とか、

そういう二項対立、二元論の罠から抜け出すことができる。

まあ、私もまだまだです。
す〜〜〜ぐ、クリアリングを忘れて、
刺激即反応、で暴れ散らかしちゃう。

今日の瞑想会のザマを見てください!(笑)
あれじゃ完全に単なる金せびりのチンピラじゃないか!!!(涙)

あんなことを言いたかったわけじゃないんだけどな・・・。
ただ、人間同士の関わりをしたい、その気持ちを伝えたいだけだったんだけどな。

反省。
そして、クリアリング。

「やっちまった・・・」って気持ちも、ただ、あるね。

「あるね」の光の中で、罪悪感も、緊張感も、ほどけていく。
ぜんぶ、最初から、「ゆるされ切っている」んだなあ・・・。

今日も素敵な一日を☆

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