5時起床。
かなりぐっすり眠れた感覚がある。
歯磨き、天液、昨日の日記アップ。
この流れもいい感じにルーティンになりつつある。
瞑想・朝勤、筋トレ、朝コーヒー。
このルーティンもいい感じ。
が、相変わらず筋トレはキツい。
でも、終わるととんでもなく爽やかな気持ちに。
筋トレが終わった瞬間に服を捲り上げ、
ぽよ腹の変化を流生さんに確認してもらうところまでが日課。
毎日、マジでよくやっている。(流生さんがな!)
昨日、ある方に伝えていただいたことばが、
すごく印象に残っている。
「ようちゃんは、とても強い人、という印象。
強くて、意志がはっきりしているからこそ、
まだ自分のことがよくわかっていない人たちは、怯んでしまうかもしれない」
そうなのかも。
前は、そんな自分のあり方を否定していて(自分が未熟なんだと思っていた)、
目の前の相手に圧を与えないように、与えないように、
必死で自分を律していた(実は!)のだが、
もう、そんなことはしなくていいな、と思っている。
しなくても、このままの自分で、
「丁々発止」のやりとりができる友人や仲間たちが、
私の周りには、すでに、いてくれているから。
そして、そんな仲間たちは、
私の「強さ」と同時に存在する「弱さ」も「脆さ」も「繊細さ」も、
それすら「あるね」の中で昇華できてしまう(自分のものも、他者のものも)
人間としての“ほんとうの強さ”も“ほんとうの優しさ”も、
すべて受け入れて、いっしょにいてくれるから。
ありがたいな。
私は、こういう仲間といっしょに、面白おかしく人生を生きていきたいし、
そして、こういう仲間との出合いを、いつだって切実に求めているんだ。
8時半から個人セッション。
ガチコン10回目のMさん。
ご自身のこれまでの「生き方」から、
ビジョン、ミッション、アイデンティティにていねいに言葉をあてがっていく。
もって生まれたアイデンティティが「これ」だったからこそ、
自分の人生全体にこのような流れが存在してくれていたのか……!
そう気づいた瞬間の「降参一択!」な感覚、
感謝があふれて止まらなくなる感覚、たまらないよね。
そんな瞬間に立ち会うことができて、ほんとうに幸せです。
ありがとう、Mさん。
セッション終了後、『7つの習慣』をともに学んでいる仲間たちの
ミッションステートメントひとつひとつにフィードバックしていく「おしごと」。
みんなのMSを真剣に拝見することで、自分のMSにも、あらためて光が当たる。
ありがたい時間。
しかし、全体的な印象として、他の人のミッションステートメント、
なにか輪郭がぼやけているというか、具体性がないものが多い気がしちゃうんだよな。
その人固有の人物像が、見えてきそうで見えてこないというか。
(もちろん、超くっきりはっきり「その人」が見えるMSもあります!)
私のMSの輪郭がびしっとしすぎなだけか。
私自身、具体性がないと「動けない」人間なので、
どうしてもフィードバックにもその思いを反映させてしまう。
その流れで、来週水曜日の『7つの習慣』実践会の予習。
今回は第3の習慣、タイムマネジメントの回だ。
前回まではここまで深く読み解けなかったけど、結局は、これって、
すべてを第Ⅱ領域に「変えていく」習慣なのだな。
この視点はすごく面白い。
この目を持つことで、より世界が立体的に見えてきそうだ。
わくわくする!
2時間半ほど集中して予習に取り組んだあとは、がっつりお昼寝。
1時間ほどゆっくり眠った。
お風呂に入りながら「めぐりはぐくみトイレプロジェクト(仮)」に関する資料を読み込む。
早く始動させたくてうずうず。
そのためにも、まずは、自分の仕事のマネジメント部分のデリゲーションを、
ひとつひとつ、ていねいにやっていかないと。
お風呂から上がって、
夕飯を作っている途中に流生さん帰宅。
先々週の土曜日に仕込んだ白味噌を開く。
表面に少し白い膜が張っていた。
アルコールっぽい匂いがしたので産膜酵母だろう。
混ぜ込んでも問題なさそうだったが、
流生さんにアルコール耐性がないので、丁寧に取り除く。
こちらが自家製白味噌の完成形です。
じゃん!
内側にスプーンを入れてひと舐め。
「あ、ま〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!」
とっても甘くて、でもいい感じにしょっぱくて(味噌だから当たり前か!)
糀の粒々感も絶妙で、バランスのいいお味噌になった。
流生氏もご満悦。
さっそく夕飯のお味噌汁に使う。
今回は、普通のお味噌と白味噌半々で作ってみた。
夕飯は、黒米を混ぜて炊いたご飯と、
昨日マルシェで買った里芋とズッキーニとオクラのお味噌汁と、
茹でたじゃがいもに「熟成塩」と「れなりオリーブオイル」をかけたもの。
どれも、すっごく美味しい。
特にお味噌汁。
一口ごとに、全細胞に染み渡っていく感じ。
自分達で作ったお味噌だと思ったら、感激もひとしおだ。
よく噛んで食べれば、このぐらいの素食でも大満足。
そして、少しずつ、だけど、100パーセント地産地消ご飯に近づきつつあってうれしい。
今日から本格的に禁酒をはじめたので(外では飲むよ☆)
夕飯のお供として炭酸水をいただく。
結局はこのシュワシュワ感を求めてお酒を飲んでたんだよな。
じゃあ、別にお酒いらないじゃん。(何度も言うけど、外では飲むよ!)
今日、あることをキッカケに、あらためて自分の食生活について考えてみた。
現代栄養学的の観点からすれば、質的にも、量的にも、
いろいろ「足りていない」(そして、ある観点からすればバランスも悪い)ことは重々承知の上で、
それでも私はこのスタイルを「自覚的」に選んでいる。
たとえば、私は、自宅ではほとんど動物のお肉をいただかないが
(誰かにお裾分けいただいたりした場合は、もちろん、家でもありがたくいただきます)
そこに関して、心優しい方々から、時折、アドバイスをいただくことがある。
「心身の健康を保つために、もう少し意識的に、お肉を食べた方が良いですよ」
と。
それはとてもありがたいことなのだが、それでも、私は、
精神的にいまの食生活に十分満足しているし、
肉体的にもこのスタイルが「ちょうどいい」と感じているのは事実で。
それに、これはあくまで私の生き方の趣味の問題なのだが、
自分の健康を保つ「ため」に、他の動物のお肉=いのちをいただく、ということに対して、
どうしても素直に頷けないというか、疑問が生じてしまうのだ。
ここへの「痛み」は、やっぱり、大切に感じていたいのだ。
(そういう意味で、私は、やはり、多分に「仏教的」な人間なのだと思う。)
かと言って、ベジタリアンやヴィーガンになることを推奨しているわけではない。
ここに関しては、反対もしないけど、推奨もしないという立場です。
(でも、現代人、ちょっとお肉を食べ過ぎかな、
もうちょっと、いただく量や回数、減らしても大丈夫じゃない? とは思う。
あと、食肉産業の実態も、もう少し深いところから、
たくさんの人に知ってもらいたいな、とも思う。)
現に、私も外ではお肉を(少量ではあるけど)食べたりするし。
でも「健康のため」という意識で食べたりはしない。
現代栄養学を否定するつもりは一切ないし、
人の優しさにはいつだって心を開いていたいとは思っているが、
誰に何を言われたとしても、それがどんなに善意からのアドバイスだったとしても、
私は、私自身の、心、体、魂の求めるあり方を、
これからも自覚的に選んでいきたいと思っている。
結局はすべて「意識」次第だしね。
そこを証明していきたい気持ちもある。
このあたりのことは、今度の食国ミーティングで、あらためてじっくり語りたい。
なんだか今日はいろいろ真面目に考え過ぎちゃった感じがするな。
まあ、こんな日も大切だろう。
歯を磨いて、21時半頃お布団に入る。
普段は超絶寝付きの良い私だが、いろいろ考えすぎたのか?
脳が興奮状態で、しばらくうだうだしていた。
が、いつのまにか寝落ちしていた。
今日もありがとう。
すべてに、感謝。