「記憶」というファンタジー

2016年8月26日

私は、もともと忘れっぽい人間ではありましたが、

 

ここ最近、その傾向に

 

いよいよ磨きがかけられてきた感があります……。

 

 

 

でも、このおかげで、すごく楽なんです。

 

余計な「記憶」に振り回されなくて済むのは、楽です。

 

大変な安心感の中で息をさせてもらっている感覚です。

 

 

 

そりゃ、加齢現象だ! とか、

 

年取って図太くなったんだ! とか、

 

まあ、もちろん、そういうのもあるとは思うのですが、

 

それ以上に、

 

私の中の「記憶」というものに対する幻想が

 

かなりの段階まで消えてしまったことが

 

一番の原因だと思っていて。

 

 

 

以前の私は、

 

「私」という人間は

 

「記憶」によって作り上げられている!

 

……という信念を抱えて生きていて。

 

いや、いっそのこと

 

「私」=「記憶」

 

と言ってしまってもいいかな。

 

 

 

とにかく、「記憶」がなかったら

 

「私」を保つことはできないだろう、

 

……と思っていたんです。

 

 

 

だから、ありとあらゆる「記憶」を抱きかかえて、

 

どこへ行くにも後生大事に持ち運んでいました。

 

 

 

でも、あるときふっと思ったんです。

 

「記憶」って、

 

そんなに大切に持ち運ぶべきものなのかな?

 

って。

 

 

 

いや、もちろん、「記憶」は大事です。

 

「記憶」がなければ、

 

社会生活を営むことができなくなってしまいます。

 

 

 

でも、どうなんでしょう。

 

 

 

「記憶」は大事なものだ!

 

大切に抱きかかえて生きていかなきゃいけないものだ!

 

……なんていう風に力まなくても、

 

「記憶」は必要なときには目の前に立ちあらわれてくれるし、

 

LIFEは淡々と展開していくよなあ、って。

 

そこに「私」の力なんか、まったく作用していないよなあ、って。

 

 

 

これは大きな発見でした。

 

 

 

「忘れる」ということが起きるならそれがベストだし、

 

「思い出す」ということが起きるならそれがベスト。

 

ベスト、というか、それ以外に起きようがない。

 

だから「私」は、ただただリラックスして、

 

瞬間瞬間に起きてくるLIFEとともにあればいい。

 

ただ、それだけでいい。

 

 

 

なにかを忘れることでほんとうに困ることって、

 

実は、あんまり、というかほとんど、

 

というかまったく? ないし、

 

ちゃんと必要なときには思い出すということが起きてくるので……。

 

ただそれを信頼していればいいだけなんですよね。

 

 

 

楽だなあ、って。

 

LIFEとただただともにあることは、楽です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎