どう生きたって

2016年8月14日

ほんとうに、人間、どう生きたっていいのだと思います。

 

なぜなら、どう生きたって、最初から救われているからです。

 

 

 

私だって、ひとりのちっぽけな人間ですから、

 

悲しみや怒りや不安や後悔に巻き込まれて

 

ジタバタジタバタ暴れまわることもありますよ。

 

 

 

でも、ジタバタジタバタしながら、

 

ベースのところには、

 

「でも、救われているんですけれどね」

 

という覚めた意識(「意識」でもないのですが……)が、

 

いつだってドーンと鎮座ましましている。

 

あるときを境に、どういうわけか、

 

そういう風に生きるようになってしまった……。

 

 

 

イメージで言えば、こう、断崖絶壁がありますよね。

 

「落ちたら絶対に死ぬ!!!」みたいなやつ。

 

その崖っぷちギリギリのところで

 

「落ちるまい!!!」と踏ん張っていたのが、

 

なにかのはずみでトンッと前に出てしまって、

 

絶体絶命、

 

地面に向かって真っ逆さま、

 

「うわあああ!!!」

 

……と叫んでみたはいいけれど、

 

あれ、いつまで経っても地面に叩きつけられない……?

 

おかしいな……?

 

おそるおそる目を開けてみたら、

 

あれ、生きている……?

 

地面に、しっかりと両足をつけて立っている……?

 

あれ……?

 

っていうか、そもそも断崖絶壁なんかどこにもなかったじゃん……!

 

いつだって、絶対的に安全な地面の上にいたじゃん……!

 

断崖絶壁がある、っていう夢を見ていただけじゃん……!

 

私、最初っから、救われていたんじゃん……!

 

……っていう感じ。

 

 

 

細かいことを言えば、

 

崖っぷちに立つ「私」や、落ちる「私」や、安心する「私」なんか、

 

なんかそもそもどこにもいないんですけれど、

 

それこそが究極の「救い」なんですけれど、

 

まあ、イメージとしてはそんな感じです。

 

 

 

このことに、生きている間に気づく人もいるけれど、

 

もし、生きている間に気づくことができなくても、

 

死ぬときには必ず気づくんだと思っています。

 

 

 

ああ、私、「人生」という夢を見ていたんだな、

 

最初から、絶対的に、救われていたんだな、って。

 

 

 

臨死体験……というと大げさですが、

 

それに近い体験をしたときに、

 

私は、それを確信しました。

 

 

 

死ぬときには、必ず夢から覚めるんだ。

 

それならば、

 

人生という名の夢を見ていても、なにも悪くないんだ、って。

 

 

 

なんか「アヤシイ」話になってしまいましたけれど……。

 

信じられないなら信じられないでぜんぜんいいです。

 

信じても、信じなくても、それもまた人生という物語。

 

最初から、完全に、完璧に、祝福された物語なのだと思うからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎