○○は遠い日の花火ではない

2016年8月12日

ちょっと前までの私は、よく、

 

「未来のことは未来の私がなんとかしてくれる!」

 

なんてことを言って、

 

「心配性な現在の私」を落ち着かせていたものですが、

 

最近では、そんなことは言わなくなりました。

 

 

 

それにとって代わるものとして

 

最近の私がよく言っているのは、

 

「なんとかならないことはない」

 

ということばですね。

 

 

 

そこにはもはや「なんとかする私」はいなくて、

 

ただ

 

「なんとかならないことはない

 

……ということだけがある」

 

という感じで。

 

 

 

「私」と呼ばれる瞬間のあらわれすらひっくるめた

 

全体のダイナミズムをまるごと信頼できるようになると、

 

いまだ来たらぬなにかに対しての

 

余計な「不安」は消えてしまうのですね。

 

……と同時に

 

余計な「期待」も消えてしまいます。

 

 

 

「こうなったらどうしよう」も、

 

「こうあったらいいなあ」もなくなって、

 

ただただ、いまここに、

 

瞬間ごとにあらわれては消えていく、

 

打ち上げ花火のような「すべて」を、

 

打ち上げ花火のひとつとしての「私」が、

 

静かな感動をもって見つめている――

 

 

 

いや、違うな。

 

そこにはもはや

 

感動している「私」すらいなくて、

 

ただ、感動だけがあって――

 

 

 

なんかね、

 

ほんとうに、もう、

 

ただ、それだけだなあ、と。

 

 

 

「遠い日の花火」や「まだ見ぬ花火」に酔いしれるより、

 

もっとたのしいことが、ここにはあるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日をお過ごしください◎