先日、ある方から、
「小出さんは大いなる安心に包まれて
生きていらっしゃるようですが、
どうやってその境地に至ったのでしょうか?」
といったようなご質問を受けました。
なので、ここでお答えしますね。
……とは言え、です。
まずお伝えしなくてはいけないのは、
「私はそんな境地には至っていませんよ~」
ということで。
いや、これ、謙遜とかそういうものじゃなくて、
単なる事実ですね。
「私」は、そんな境地には、至っておりません。
なぜなら、「安心」というのは、
「私」の不在性が明らかになったとき、
ふいにやってくるものだからです。
だから、その境地に至れる「私」はいないんです。
(あと、「境地に至る」っていうのも、
ちょっと問題のある表現だなあ、
とも思うのですが、
それはまた、別の機会に……。)
「安心」は、
「私」に任されるものではないからこそ、
「安心」としてあることができる、
……と言うこともできると思います。
「私」が得たり、失ったり、
増やしたり、減らしたり……
つまり、「どうこう」できるものは、
ほんとうの「安心」ではありません。
危なっかしい「私」が扱う
危なっかしいものが
「安心」であるわけがないですよ(笑)
「安心」を得る「私」もいなければ、
「安心」を生きる「私」もいない。
そのことが、ストン! と理解されたとき、
ここには、もはや、
「安心」しか存在していないことに気づくのでしょう。
もう、ほんとうに、これだけだなあ、と思います。
よい一日をお過ごしください◎