ごくごく時折、
「小出さんの言っていること、書いていることの意味が、
ぜんぜん、さっぱりわかりません……!!!」
みたいなことを言われます。
そのたびに、表現力を磨く必要性を痛感するとともに、
「うん。でもね。
わからなくて、ぜんぜんいいんですよ~」
という気分になるのです。
これ、決して、上から目線や投げやりな気分から
言っているわけじゃなくて……。
ほんとうに、わからなくて、ぜんぜんいいんですよ。
そもそも私が書いている内容って、
一般的な「理解」を超えたところにあるものばかりですしね。
それに、「わからない」なら「わからない」で、
「わからない」ということが、いまここで起きている。
……というだけのお話なので。
ほんとうに、良いも悪いも、なにもないんです。
「わからない……」
OK! なにも問題ありません。
でも、ひとつだけ。
「わからない」ということが、
いまここで起きているということを、
まるごと“わかっている”わたしの存在に気づけますか?
「わからない」ということを、考えている私、じゃないですよ。
いまここの「わからない」を、まるごと受けいれているわたし、です。
完全な受容としてのわたしの存在に気づいて、
それとともにあることさえできたら、
「わからない」に対する抵抗が消えてしまいます。
すると、「わからない」の海にくつろいで、
肩の力を抜いて生きられるようになります。
「わからない」ことが、理解を超えた理解への
きっかけになるって、なんだかおもしろいなあ、と。
世界には、ほんとうに、ヒントしかないんだなあ、と。
そんなことを、しみじみ思います。
よい一日を◎