たとえば、いま、あなたが、
誰かを、あるいは自分を、
もしくはなんらかの出来事を、
どうしたってゆるすことができなくて、
それによって、大変な苦しみを感じているとします。
でも、その、
「誰か」や「自分」や「なんらかの出来事」は、
すでに、完全にゆるされて存在しているし、
そして、
それらをゆるせないと自分が感じていること
それ自体だって、
すでに、完全にゆるされて存在しているんです。
ゆるされているから、いまここにあるんです。
人間である限り、
ネガティブな感情が湧き上がってくることを
完全に止めてしまうことはできません。
だって私たち、縁の中に生きているのだから。
憎しみだって、怒りだって、悲しみだって、
ぜんぶ、縁によって、どうしようもなく湧き上がってくる。
それを個人の力で止めることはできないし、
止める必要もまったくありません。
それらはそれらとして「あっていい」んです。
当然、それらを感じる自分も「あっていい」んです。
というか、個人が「あっていい」と思う以前に、
それらはすべて「ある」ことをゆるされているんです。
「ある」ということは、そのまま、
すでに、完全に、完璧に、ゆるされている、ということ。
「ゆるす」のは、きっと、人間の仕事じゃない。
人間にできるのは、
すでにすべてはゆるされてあることを、
ただただ深く感じるだけ。
絶対的なゆるしの中で、ただただ生きていくだけ。
それしかできないけれど、
それだけで良いのだと思います。
よい一日を◎