気づきの唯一の主体としての“わたし”と
どうしても出会いたいんです!!
どうやったら出会えますか!?
……という質問が出てくるのももっともなのですが、
でも、何度も言っているように、
この「私」が“わたし”を見つけることはできないんですね。
だって、この「私」は、なにかを見つける主体ではなくて、
“わたし”に気づかれている客体でしかないから。
先日も書きましたけれど、
目は、目自体を見ることができないし、
鼻は、鼻自体の匂いを嗅ぐことができないし、
舌は、舌自体の味を感じることはできない。
それと同様に、
「私」は、“わたし”の姿を見つけ出すことはできないんです。
じゃあどうすればいいの!?
……どうしようもないんです。
いや、煙に巻いているわけじゃなくて、
ほんとうに、どうすることもできないんです。
でも、その「どうすることもできない」の先に、
ちゃんと道は開けている。
この「私」が、“わたし”を見つけようとすることを
完全にあきらめて、ただただ、いまにくつろいだ瞬間、
ずっと探し求めていたものが、
すでにここにあったことに気づくでしょう。
ほんとうに、なにもしなくていいんです。
なにもしなくても、それはいつ何時でも、
「私」とともに生きている。
「私」は“わたし”に生かされている。
いつだって、完全に、完璧に。
「私」と“わたし”が離れたことはない。
安心して、そのまま生きていていいんですよ。
よい日曜日をお過ごしください。