私たちは、いつだって、切れ目のない“経験”に、
どうしようもなく、含め抱かれているのだと思います。
いまここにあるのは、真実、経験だけ。
見るという経験。
聞くという経験。
嗅ぐという経験。
味わうという経験。
感じるという経験。
考えるという経験。
経験するという経験。
経験しないという経験。
多種多様な経験が、いまここにおいて、
ただ、起こっているだけ。
「私」不在のままに、
ただ、起こっているだけ。
いつだって、ただ、それだけ。
そのように、すべてが、ゆるされている。
すべて、その包摂の中にある。
絶対的な包摂は、すなわち、愛です。
よい日曜日をお過ごしください◎