思考も、感情も、体感も、
すべて、「私」不在のままに、
縁によっておのずから湧き上がっては、
縁によっておのずから滅しています。
それが“自然”というものです。
だけど、人間っていうのは、
それらをいちいち「自分のもの」だと思い込んで、
あーだこーだ騒ぎ立ててしまうから、
話がややこしくなってくるんですね。
それらを「自分のもの」だと思ってしまうと、
「ならば思い通りになってしかるべきだ」
という勘違いが発生してしまいます。
そうなってくると、さあ大変。
「もっとこうだったらいいのに……」とか、
「どうしてそうなっていないんだ……」とかね、
そういう、まあ、ひとことでまとめれば
「抵抗」のエネルギーが発生してしまうんですね。
抵抗のエネルギーに比例して、苦しみは増えていきます。
「苦しみ」というよりは、
仏教でいう「苦」ということばの方が正確かな。
「苦」=unsatisfactory
つまり、不満足のこころから生まれる葛藤ですね。
これは、ほんとうに厄介なものです。
でも、もし、
思考も、感情も、体感も、
すべて、「私」不在のままに、
縁によっておのずから湧き上がっては、
縁によっておのずから滅していくということを、
理屈を超えたところから、ストン! と理解できたら、
「苦」は生じづらくなるよ~
ということは言えるんじゃないかな、と思っています。
思考だって、感情だって、体感だって、
ぜんぶ、天気みたいなものだと思えばいいんですよ。
ぜんぶ、自然の中で、「私」不在のままに起こっているんだって。
大雨も、大風も、大雪も、
ぜんぶ自分が起こしているわけじゃないでしょう。
だからこそ、
「これはこれで仕方がない。
もう、そうなっちゃっているんだから」
って、簡単にあきらめられるし、
好奇心をもってそれらの様子を眺めることだってできるわけで。
明るいあきらめ、っていうのかな。
悲壮感の漂わない「まあ、いいか」は、
抵抗のエネルギーを消してくれるんです。
すべて、「私」不在のままにおのずから起きている、と
“あきらめる”=“明らかにみる” ことさえできれば、
「苦」からフリーになっていくんですね。
軽やかに、爽やかに、自然の流れにおまかせした
「全自動」な生き方。
こんなに楽なことって、ないですよ。
今日から新生活! という方も多いのかな。
私も、そのひとりです。
お互い、できるだけ機嫌よく、
気分よくやっていけたらいいですね。
よい一日を◎