このブログでも過去幾度も用いていますが、
「波」と「海」のたとえ話っていうのは、
やっぱり、ほんとうによくできているなあ……
って、あらためて感動しているところです。
私たち個人は、大海に浮かぶひとつひとつの小波のようなもの。
みんな、それぞれの波こそを唯一の「自分」だと思い込んで、
大きさやかたちなどを競って生きているけれど、
でもね。
ほんとうは、みんな、大海そのものなんですよ~!
果てしなく広大なご縁のネットワークとしての
“ほんとうのいのち”を「そのまま」生きているんですよ~!
だから安心していていいんですよ~!
っていうお話です。
これ、昔から伝わるたとえ話なんですけれど、
とにかくイメージしやすいっていうのが、
まずひとつ、素晴らしいところですよね。
もうひとつ、このたとえを用いれば、
「自由意志」についても、ばっちり説明できる!
っていうところが素晴らしいな、と思うのです。
大海に浮かぶひとつひとつの波は、
「自分の意志」で、
みずからの進むべき方向や、
大きさやかたちを決めているでしょうか?
……違いますよね。
それらはすべて、大海のダイナミズムの中で
“おのずから”決定されていますよね。
そこには、ひとつひとつの波の意志なんか、
ほんとうはまったく反映されていないんですね。
すべて、「私」不在で、ただ起きているだけで。
「私」が◎◎をしたから、思ったから、感じたから、
結果として、△△という事態が発生した!!!
……っていうのは、ほんとうのところ、
壮大なフィクションでしかないんですね。
みんな、ふつうにやっていることですけれど。
それがフィクションだなんて、
一ミリも思っていない方が大半ですけれど。
でも、フィクションなんですね~。
……なんてことを言うと、
「そんなのヤダ!!!」
っていう叫び声が聞こえてきそうですね(笑)
そりゃそうです。
「自分の力で人生を作っている!」っていうお話って、
自我にとっては、ものすごく魅力的ですからね。
まあ……残念ながら、フィクションなんですけれどね……。
でも、大丈夫。
もし、自分の“ほんとうのいのち”は、
波ではなく、大海の方にこそある!
ということを、
理屈を超えたところから、真実、理解できたら、
ちっぽけな自我の抵抗感なんか、あっという間に、
巨大なくつろぎの中にとけていきますので。
安心してください。
「自由意思」という幻想が消えると、
ほんとうの“自由”が姿をあらわします。
個人というちっぽけな枠を遥かに超えたところにある、
有に満ちた無としての“自由”。
“自由”を、生きていきましょう。
雨と、土のにおいがします。
春ですね。
よい一日をお過ごしください◎