「自分のいのち」なんてものは、
ほんとうは、どこにもないのだと思う。
生かされて、ある。
そのように、ある。
それだけであって、
そこには主格も所有格も存在しない。
生死はすべて、他力の中に――
どれだけ生きたくても、生きるときにしか生きられないし、
どれだけ死にたくても、死ぬときにしか死ねない。
そういう風にできている。
そういう風にできているこの世界を、
では、いかにして生きて、そして死んでいこうか。
生きるときに、ただ、生きる。
死ぬときに、ただ、死ぬ。
これ以上に尊いことなんか、どこにもない。
大原三千院門主・堀澤祖門さんの「さとり」インタビュー、
全4回中の3回目、本日更新です。
いまはひとりひとりが釈迦を生きる時代――
力強いお言葉に、勇気をいただけます。
お楽しみくださいませ!
堀澤祖門さんインタビュー/「泥仏」としての自分を生きること(3/4)
http://www.higan.net/satori/2016/03/horisawa3.html