「お差支え無し。ご注文なし。」とは、
妙好人・三河のおそのさんのことばとして伝わるものですが、
いやー……
これ、ほんとうに、「ほんとう」のことばだなあ、と……。
昨日も、「探求」のエネルギーは別に悪いものじゃない、
みたいな記事を書きましたが、
ほんとにね、
ほんとうのほんとうのほんとうのところでは、
この世に「あってはいけない」ものなんて、
ひとつたりとも、存在しないんですね。
ほんとうに、
なにひとつ、存在を否定されるべきものなんてなくて。
すべては、現に、“いまここ”にあらわれちゃっているのだから。
「あらわれちゃっている」ということは、
その存在を「ゆるされている」ということで。
ゆるされている?
誰に?
「仏」に。
「神」に。
「縁」に。
「宇宙」に。
「愛」に。
それらのことばをもってしか、
いや、それらのことばをもってしても、
決して言いあらわすことのできない「なにか」に。
“いまここ”に、そのようにあらわれちゃっているすべて、
存在まるごと、
「仏」や「神」や「縁」や「宇宙」や「愛」にゆるされているし、
そして、それらはそのまま、
「仏」や「神」や「縁」や「宇宙」や「愛」そのものでもある。
自我? 煩悩?
過去への後悔? 未来への不安?
醜い感情? おぞましい考え?
ぜんぶOK。まるごとOK。
すべて、まぎれもなく、
「仏」や「神」や「縁」や「宇宙」や「愛」の
尊い“あらわれ”であるのだから。
お差支え無し。ご注文なし。
「全肯定」ほどポジティブなものでなくても、
「否定するものがひとつもない」っていうのは、
究極の「楽」ですよね。
そのようにも生きられる、その可能性もあるっていうのは、
人間という存在に降り注ぐ、最大の祝福だと思うんです。
お差支え無し。ご注文なし。
南無阿弥陀仏
よい一日を◎
大原三千院門主・堀澤祖門さんの「さとり」インタビュー、
全4回中の2回目、本日更新です。
「色」と「空」という、仏教の根本のところのお話を、
とてもわかりやすくお話しくださっています。
お楽しみくださいませ!
堀澤祖門さんインタビュー/「泥仏」としての自分を生きること(2/4)
http://www.higan.net/satori/2016/03/horisawa2.html