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大峯:小林秀雄さんが昔書いていたけど、世の中のものは全部移り変わると、人生は無常だと誰でも言う、けれど人生はいったい何に対して移り変わるのかと。
池田:「あの経験が私に対して過ぎ去って再び還らないのなら、私の一生という私の経験の総和は何に対して過ぎ去るのだろう」
大峯:人生がそれに対して移り変わるところのもの、移り変わらないものがどこかにないと、移るということも言えないのではないか。これは現代人が一番忘れているものだと思います。
(『君自身に還れ 知と信を巡る対話』 大峯顕・池田晶子=著 本願寺出版社=刊 より抜粋)
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「あの経験が私に対して過ぎ去って再び還らないのなら、私の一生という私の経験の総和は何に対して過ぎ去るのだろう」
……ほんとうに、そうですよね。
いったい、この私の一生というのは、
「なに」に対して過ぎ去るんだろう?
つい先日も、村上春樹さんの文章と、
『方丈記』の冒頭部分を引用して、
同じようなことを書きましたが……
「あの経験が私に対して過ぎ去って再び還らないのなら、私の一生という私の経験の総和は何に対して過ぎ去るのだろう」
あ、思わずもう一回引用しちゃった……(笑)
これは、根源的な問いかけですよ。
小林秀雄さん……クールだ……。
(って、こういうの「孫引き」っていうんだっけ?
やっちゃいけないことなんだっけ???)
「あの経験が私に対して過ぎ去って再び還らないのなら、私の一生という私の経験の総和は何に対して過ぎ去るのだろう」
(三回目)
これ、みなさんならどうお答えになりますか?
……せっかくだから、今日はこの疑問を提示するだけでおしまいにしよう。
もしよろしければ、ちょっと、自分自身に問うてみてください。
「あの経験が私に対して過ぎ去って再び還らないのなら、私の一生という私の経験の総和は何に対して過ぎ去るのだろう」
(四回目)
私の見解(というほど立派なものでもないけれど……)は、
また明日、まとめてみますね。
肌を刺す冷気が心地よい東京の今朝です。
よい一日をお過ごしください◎