「あるものを数えよう!」
っていうのもいいけれど、
どうせなら、
「“ただ、ある”ということに気づいていよう!」
っていうのを、
私はオススメしたいなあ、と思います。
狭いけれど住む家がある、
やりたいことではないけれど仕事がある、
安いけれど給料をいただいている、
マンネリだけど恋人がいる、
口うるさいけれど両親は健在だ、
とりあえずからだだけは健康だ、
だから私は幸せなんだ、
きっとそうだ、そうに違いない、
それらが「ない」よりぜんぜんマシだ、
私はとにかく「幸せ」なんだ!
……とかいう風に、「ある」を(むりやり)数えて、
自分の「幸せ」を再確認するやり方もあるけれど、
でも、それ以前の
“ただ、ある”
に気づくことさえできれば、
「幸せ」も「不幸せ」も超えたところに、
決して揺るがない“ほんとうのしあわせ”を
見出すことができるんじゃないかなあ。
狭いけれど住む家がある私。
やりたいことではないけれど仕事がある私。
安いけれど給料をいただいている私。
マンネリだけど恋人がいる私。
口うるさいけれど両親は健在な私。
とりあえずからだは健康な私。
それらの「私」に、気づいている“わたし”は、
じゃあ、いったい“だれ”でしょう?
(もしくは、“なに”でしょう?)
あたまを通さないで、
ただ、その“わたし”とともにあってみてください。
いや、
その“わたし”にとどまっていてください、
……の方が、正確かな。
今日は、ここまで。
さらっと読まずに、実際に、やってみてくださいね^^
春が音を立てて近づいてきていますね。
よい日曜日を◎