女性性と、ゼロと

2016年2月1日

「これからは女性性の時代だ!」

 

というお話は、ここ数年で、

 

いろんな場面で、非常によく聞くようになってきたし、

 

私自身、これに関しては、

 

「ほんとうにそうだなあ~」

 

と、しみじみ思っています。

 

 

 

でも、大切なのは、ここでのキーワードは、

 

あくまで

 

「女性性」

 

なのであって、

 

決して、

 

「女性」

 

ではない、というところですね。

 

 

 

「女性性」って、

 

まあ、「女性」とか書いてあるから紛らわしいし、

 

そりゃあ勘違いされても当然なんですけれど、

 

私が思うに、その人が生物学的に男だろうが女だろうが、

 

その発揮具合には、ほとんど関係がないんじゃないかな、と。

 

 

 

女であっても、自分の中の女性性を

 

上手に発揮することができていない人はゴマンといるし、

 

逆に、男であっても、身に備わった女性性を

 

思いっきり輝かせて活躍している人はゴマンといる、

 

っていうことです。

 

 

 

だから、女の人が得意になる必要はまったくないし、

 

男の人も、スネる必要はまったくないです(笑)

 

 

 

で。

 

じゃあ、「女性性」っていったいなんなのさ!?

 

っていうことになりますが、

 

これは、まあ、ひとことであらわせば、

 

「含め抱く」ということばに

 

代表されるような性質になるのかな、と。

 

 

 

前にもこのブログで書きましたが、

 

私の中の「女性性」のビジュアルイメージって、

 

赤ちゃんを産むお母さん、

 

なんですね。

 

 

 

出産時の女性って、もはや性別を超えた存在だと思うんですよ。

 

その存在に数字をあてがうとしたら、0(ゼロ)ですね。

 

1(=男)でもなく、2(=女)でもなく、

 

足して3になるわけでもなく、

 

ただただ、それらを絶対的に含め抱いた、大いなるゼロ。

 

だってそうじゃなかったら、女であるお母さんから、

 

男の赤ちゃんが生まれることの説明がつかない。

 

 

 

ゼロって、単に、「なにもない」っていう意味じゃないんですよ。

 

「なにもない」

 

というより、

 

「なにものでもない」

 

ということばの方がしっくりくるかな。

 

 

 

「なにものでもない」

 

だからこそ、

 

「すべてである」

 

というか……。

 

 

 

抽象的なお話になってしまいましたが……。

 

 

 

「善」でもなく、「悪」でもなく、

 

「光」でもなく、「闇」でもなく、

 

「正」でもなく、「誤」でもなく、

 

「男」でもなく、「女」でもなく、

 

「生」でもなく、「死」でもなく、

 

それらを絶対的に含め抱いた、

 

可能性そのものとしての、ゼロ。

 

なにものでもないからこそ、

 

すべてとして、ただ在る、ゼロ。

 

 

 

女性性を発揮して生きていく、

 

っていうのは、

 

つまり、

 

文字通り「すべて」を含め抱いた「ゼロ」として生きていく、

 

ということになると思うんです。

 

 

 

言い換えれば、

 

「なにものでもないわたし」として生きていく、

 

っていうことですね。

 

 

 

性別がどうだ、とか、年齢がどうだ、とか、職業がどうだ、とか、

 

そういった属性のひとつひとつを、「自分」という存在から、

 

丁寧に丁寧に取り除いていったとします。

 

そうやっていったときに、

 

最後に残る「ほんとうのわたし」っていうのは……

 

あら不思議。

 

全人類に共通する、

 

たったひとつの「わたし」

 

っていうことになってしまうんですね~。

 

 

 

小出遥子の「ほんとうのわたし」と、

 

後ろでスマホをいじっている夫の「ほんとうのわたし」と、

 

このブログを読んでくださっているあなたの「ほんとうのわたし」は、

 

まぎれもなく、同一の存在だということです。

 

 

 

当然ですよね?

 

そこには一切の属性がないのだから。

 

 

 

「なにものでもない」

 

だからこそ、

 

「すべてである」

 

っていうのは、つまりはこういうことです。

 

 

 

「女性性」っていうのは、

 

「自分」に備わった資質のひとつ、なんかじゃなくて、

 

「自分」という存在を構成している大元の性質、なんです。

 

 

 

だから、女性性を発揮して生きる、っていうのも、

 

ほんとうはおかしな言い方で、

 

正確に表現すれば、

 

女性性そのものとして生きる、

 

つまりは、

 

ゼロそのものとして生きる、

 

っていうことになるのですが。

 

 

 

そうやって生きていくことは、

 

実のところ、決して難しいことじゃないんです。

 

難しいと思われているけれど、そんなことはない。

 

簡単だ、と言い切ることもできないけれど、

 

でも、こういうのって、

 

難しいと思えば思うほど、難しくなっていくので。

 

 

 

だから、「へえ、そんなもんか」と単純に受け取って、

 

「へえ、そんなもんか」と思いながら世界を眺め渡して、

 

「へえ、そんなもんか」と思いながら実際に生きてみるのが、

 

結局は、一番手っ取り早いような気がしています。

 

 

 

……うん。なんだか収拾がつかなくなってきた気がするので、

 

今日はこの辺でやめよう(笑)

 

 

 

でも、また書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日から2月ですね。

 

なにものでもないわたしとして、

 

まったくあたらしく、生きていきましょう。

 

 

 

よき日を◎