「しあわせ」を真ん中に置いて生きていく。

2016年1月28日

昨日の朝、ある方と、

 

「いつだって“しあわせ”を真ん中に置いて生きていけたらいいですね」

 

「そうしましょう! というか、すでにそうしている、かな?」

 

「そうしていますね!」

 

というやりとりをしていました。

 

(朝っぱらから……! 笑)

 

 

 

「“しあわせ”を真ん中に置く」って、イメージできますか?

 

これ、比喩なんかじゃなくて、

 

実際に「置く」ことって、できるんですよ。

 

 

 

具体的には、

 

私がことあるごとに言っている

 

「あったかくて、なつかしくて、ひろがっていく」感覚、

 

これを、からだの真ん中、

 

もっと言えばおへその下、

 

丹田と呼ばれている部分、

 

女性の場合、ちょうど子宮があるあたりに、

 

実際に、「置く」んです。

 

ただただ、それを感じるんです。

 

 

 

これって、本来いつだって「ある」感覚なんですよ。

 

それが感じられないのだとしたら、ちょっとあたまの方に

 

意識がかたまりすぎちゃっているかもしれないですね。

 

でも、それだけです。

 

そうなっているのだとしたら、ただ、ゆるんでしまえばいい。

 

具体的に言えば、あたまの方にのぼってしまっている気を、

 

少しずつ、少しずつ、

 

ゆっくりとした呼吸(吐く息に意識を向けてください)とともに、

 

おへその下のあたりにまでおろしていくんです。

 

そうイメージするんです。

 

これをやるだけでも、だいぶ変わってくると思います。

 

※今年の1月8日の記事が参考になるかもしれません。

 

おなかの下に「自分」をおさめる

 

 

 

で、です。

 

この「あったかくて、なつかしくて、ひろがっていく」感覚、

 

つまりは「しあわせ」の感覚を、

 

それそのものとして味わえているときって、

 

「自分」と「世界」との境目がなくなって、

 

「世界」としての「自分」、

 

「わたし」としての「世界」を、

 

直に(←ここがポイント)生きているんですね。

 

 

 

「世界」のすべて、「ご縁」のすべて、

 

それをそのまま「自分」そのものとして生きていく――

 

 

 

「しあわせ」を真ん中に置いて生きていく、

 

もっと言えば、

 

自分を「しあわせ」にする、

 

自分の「しあわせ」を守る、

 

って、本来、こういう意味のことだと思うんです。

 

 

 

「世界」に「自分」をしあわせにしてもらおう、

 

と、あくせくすることなんかない。

 

「世界」そのものとしての「自分」を生きることさえできれば、

 

そのままで、すでに、「しあわせ」なんです。

 

これ以上の「しあわせ」なんて、ないんです。

 

 

 

……そうなってくると、おのずと、

 

「この私(個の私)」の行動は、決まってきますよね。

 

 

 

目の前の「世界」を、すべての「ご縁」を、

 

まるごとそのまま、ありのまま、

 

「自分」そのものとして、愛してしまう――

 

 

 

もう、それだけですね。

 

ほんとうに、それだけなんです。

 

 

 

うつくしいだけじゃない、

 

やわらかいだけじゃない、

 

心地よいだけじゃない、

 

それすらひっくるめて、ただある「世界」を、

 

すべてとしての「自分」を、

 

それそのものとしての「いのち」を、

 

直に、ほんとうの意味で正しく、

 

真摯に生きていくこと――

 

 

 

それは、本来、誰にだって可能なことです。

 

だって、そういう風にできているのだから。

 

 

 

でも、それをやっていくのがなかなか難しいと感じられるのなら、

 

まずは、「あったかくて、なつかしくて、ひろがっていく」感覚を、

 

おへその下に、実際に「置く」ことからやってみましょうか。

 

 

 

次第に、それをエクササイズとしてやらなくても、

 

常にそれとともにある感覚を味わうことが

 

できるようになっていくと思います。

 

 

 

ほんとうの「平和」は、もう、

 

そこにしかないんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

良い一日を。

 

良い人生を。