自分にとって一番やりたくないことをやると……

2016年1月24日

自分にとって一番やりたくないことをやる

 

というのは、大きなシフトへの第一歩かもしれないな、と思いました。

 

 

 

昨年末、私は、

 

小出遥子としてはぜったいにやりたくなかったことを、

 

思い切ってやってみました。

 

 

 

具体的に言うと、

 

自分からはぜったいに謝りたくなかったある方に、

 

深々とあたまを下げて、ひたすらに謝罪の気持ちを伝えたのです。

 

 

 

いや、実際には、対面でそれをしたわけじゃなく、

 

手紙での謝罪だったのですが、

 

それでも、私にとってそれをするのは、

 

かなりの勇気が必要なことでした。

 

 

 

相手との関係が決定的に悪くなったのは、去年の夏のことでした。

 

唐突に暴力的な行為をはたらかれた挙句、一方的に絶縁を切り出されました。

 

 

 

私としては、かなり「ぽかん」としてしまうような出来事でした。

 

だって、すべては誤解としか言えないようなお話だったんです。

 

 

 

あたまで考えれば考えるほど、

 

「私はなにも悪いことなんかしていない。

 

向こうが勝手に勘違いして怒っているだけだ」

 

という事実は明白で、

 

「自分から相手に謝ろうだなんてもってのほか!」

 

という気分でした。

 

周りの人々も、私と同意見でした。

 

みんな、「あんたが謝ることなんか、ぜったいにないからね」

 

と言ってくれました。

 

 

 

私、そのことで、ほんとうに、ものすごく傷ついたんです。

 

勝手に勘違いされて、

 

ひどいことばを投げつけられて(びっくりするほど汚い言葉を浴びました)、

 

挙句の果てに「絶縁」だなんて……。

 

理不尽の極み、というやつです。

 

 

 

気にしないようにはしていても、

 

少し体調が悪くなったり、弱気になったりすると、

 

そのときの強烈な場面と、

 

「絶縁」という重苦しい文字が、

 

私の身の上にのしかかってきます。

 

そのたびごとに、

 

「私はなにも悪くない。すべて、相手のただの勘違いだ」

 

と、自分に言い聞かせるように繰り返し繰り返しつぶやいて、

 

なんとか自身を立ち直らせてきました。

 

 

 

そんなことを半年ほど繰り返し続けていたのですが……

 

 

 

あるとき。

 

ふいに。

 

ほんとうにふいに。

 

「謝ってみようかな……」

 

という気持ちが浮かんできました。

 

 

 

そのアイディアに、まずは自分自身がいちばんびっくりしました。

 

いままで考えつきもしないことだったし、

 

それは、その時点での私にとって、

 

文字通り、「死んでもしたくないこと」の筆頭だったからです。

 

 

 

でも。

 

「謝ることなんかできるわけがないじゃん!」

 

という気持ちと同時に、

 

「謝ったら、きっと、なにか変わってくるんだろうな……」

 

「なによりも、“自分”が変わってくるんだろうな……」

 

という予感は、あっという間に私のこころに力強く根をおろして……

 

そして、その予感は、

 

あまりにもあたたかく、懐かしく、広がっていくような感覚を

 

私自身にもたらして……

 

 

 

数時間後、私は、その相手に向けて、

 

丁寧なお手紙を書いていました。

 

 

 

言い訳は、一切しませんでした。

 

相手を責めるようなことも、ひとことも書きませんでした。

 

 

 

ただひたすらに、「ごめんなさい」と、「ありがとう」と、

 

「あいしています」を……

 

ただそれだけを伝えようと、丁寧にことばを見つけ、綴り続けました。

 

 

 

そこに計算は一切なく、ただ、ひたすらに、

 

こころの底からのことばだけを、書き綴りました。

 

 

 

書き上げて、封をした瞬間の、

 

「これでいいんだ」

 

という感懐は、なにものにも代えがたいものでした。

 

 

 

結果は、もはや、どうでも良いことなのでした。

 

一番したくなかったことを、私はとにかくやりきった、

 

言い訳を一切せずに、ひたすらにやりきった、

 

これ以上ないほどに、こころを込めて、やりきった、

 

もう、それだけで、十分なのでした。

 

 

 

あれから1ヶ月が経とうとしていますが、

 

相手からのリアクションは、いまだにひとつもありません。

 

9割がた、読まずに捨てられただろうな、と思っています。

 

 

 

でも、そんなことはたいした問題だとは思っていません。

 

そもそも、最初から、結果を手放していたから。

 

 

 

私がほんとうにやりたかったのは、

 

相手にゆるしてもらうこと、

 

絶縁を解いてもらうこと、

 

もっと言えば、謝罪のことばをもらうこと、

 

相手と再び、「より良い」関係を築き直すこと、

 

……などではなく、

 

ちっぽけな自分を乗り越えて、

 

大きな大きな大きな大きな「ほんとう」の自分として、

 

起きてくるすべてをそのままに受けとめること、

 

だったのです。

 

 

 

それができていることを、ただただ、誇らしく思います。

 

 

 

一番やりたくなかったことを、こころを込めて、

 

誠心誠意成し遂げた瞬間、

 

「わたし」という意識は、

 

「私」というちっぽけな存在から、

 

その背後に広がる、大きな大きな大きな大きな「なにか」に、

 

シフトしたのだと思うのです。

 

 

 

大きな大きな大きな大きな「なにか」の仕事は、

 

そこに起きてくるすべてを、

 

ただただ両手を広げて受けとめること。

 

 

 

「見えないふり」「聴こえないふり」「感じないふり」を乗り越えて、

 

「見て」「聴いて」「感じて」……

 

ただただ、「すべて」と、「ともにある」ように……

 

そうやって、「すべて」と生きていこう、と――

 

 

 

「ありがとう」と「あいしています」だけが広がる世界を――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

enjoy LIFE !