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ムーミントロールは、もの思いにしずみました。屋根の上では、じとじととした雪が、とけはじめて、ポツンポツンと音を立てて、のきからしたたりおちていました。南側の窓からは、だしぬけに、くもった夜空がのぞきました。
ムーミントロールは、入り口のドアのところへいって、おしてみました。すると、いくらかうごいたような気がしました。そこで、足をふんばって、ありったけの力でおしこくりました。
すこしずつ、すこしずつ、ドアはのろのろと、外につもった雪をおしのけて、ひらいていきました。
ムーミントロールは、なおもぐいぐいおして、ドアが夜のやみにむかってひらききるまで、やめませんでした。
いよいよ、風がまっすぐに、広間まではいってきました。風はシャンデリアのレースから、ほこりをふきはらいました。大テーブルの灰が、ぱっと舞いたちました。それから、ぐるりのかべにはりつけてあるかざりの絵を、ひらひらさせました。その中の一まいがはがれて、ふきとばされました。
夜と松林のにおいが、へやの中まで流れこんできました。
(こりゃいい気持ちだ。ときには、家の中に風をとおすものだなあ)
こう、ムーミントロールは思いました。彼はふみ段の上へでて、もやにつつまれた夜のやみの中を、じっとながめました。
「いまこそ、ぼくはのこらず知ったわけだ」
と、ムーミントロールは、ひとりでつぶやきました。
「ぼくは、一年じゅうを知ってるんだ。冬だって知ってるんだもの。一年じゅうを生きぬいた、さいしょのムーミントロールなんだぞ、ぼくは」
(『ムーミン谷の冬』 ヤンソン=著 山室静=訳 講談社文庫より)
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大寒波がやってきているそうですね。
また雪が降るのかな?
昨日は「大寒」。
一年でもっとも寒さの極まるころ、ということで、
暦っていうのは、ほんとうに正確なものなのだなあ、
と感心してしまいますね。
縮こまってしまうほど寒いのも、天候の影響で交通機関が乱れるのも、
個人的には、あまり好ましいものだとは思えないけれど、
でも、なににおいても、「極まる」というのは、
なんというか、独特の感興をもよおさせるものだなあ、と思います。
冬来たりなば、春遠からじ。
大寒の頃の大波をやり過ごしてしまえば、
あとはもう、雪解けを待つだけ。
いまがどんなに厳しくても、
ずっと続く「夜」はないし、
ずっと続く「冬」もない。
生きている限り、かならず
「朝」はやってくるし、
「春」もやってくる。
ことばにするとほんとうに陳腐になってしまってしまうのですが、
でも、これはこの世の真実ですよね。
しかも、私たち、同じところをただぐるぐると回っているだけじゃない。
「去年の冬」と「今年の冬」は、絶対的に違うもの。
「今年の冬」を知ったことが、
「来年の冬」に深さと厚みを与えないと、誰に言い切れる?
そうは言っても目の前の「冬」がつらいのなら……
こうつぶやいてみると、ほんの少し、こころが明るくなって、
見える世界が、変わってくるかもしれません。
「この冬を知っている、さいしょの○○○○(自分の名前)なんだぞ、
ぼく(わたし)は」
よい冬を◎