信じているのではない。ただ、知っているのだ。

2016年1月20日

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私は神を信じているのではない。ただ、知っているのだ。 (カール・ユング)

 

 

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なににおいてもそうですけれど、

 

「信じている」ことと、「知っている」こととの間には、

 

ひろ~くてふか~い川が、滔々と流れているなあ……

 

と思います。

 

 

 

「信じる」って、それがどのぐらい強くて熱いものだとしても、

 

やっぱり、対象との間に距離があるんですよね。

 

信じる主体としての「私」と、信じられる客体としての「なにか」とが

 

離れてしまっている。

 

 

 

そのことが悪いと言っているわけじゃないんです。

 

ただ、「信じる」が止まない限り、

 

どんなに対象に恋い焦がれ、思い焦がれても、

 

「私」と、「それ」とが、「ひとつ」になることは、

 

決して、ない。

 

そういう風になっているのは、

 

どうも、間違いのないことのようなんです。

 

 

 

「信じている」の世界の終焉と同時に、

 

今度は、「知っている」の世界が展開されていきます。

 

 

 

主体と客体がない世界。

 

ただただ、それと「ひとつ」……

 

いや、「ふたつでない」ものとして“ある”世界。

 

すべて、最初からそれであり、

 

完全に満たされていたことに気づく世界。

 

安心感だけがある世界。

 

 

 

ただ、そうは言っても、

 

「私」と「それ」とが

 

ほんとうは「ひとつ」であることを、

 

まずは「信じ」ないことには始まらないので、

 

まあね、なんともかんとも……

 

難しいね(笑)

 

 

 

まあ、これも難しく考えるから

 

難しくなってしまうだけだったりするので、

 

できるだけシンプルに、

 

「まあ、そういうもんか」ぐらいの軽い感じで受け取って、

 

刻々に目の前に展開されていく

 

「ご縁」の網目の一瞬の結節点としての人生を、

 

あんまり深刻にならずに、

 

鼻歌混じりで、機嫌良く、

 

「お任せします」とつぶやきつつ、

 

足取り軽く渡っていけたら、素敵ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日を◎