「どうしようもなさ」「逃れようのなさ」の海の中で。

2016年1月12日

最近よく書いていますが、

 

「自分の思考、感情、体感すら、ぜんぶひっくるめて、“それ”である」

 

というのは、

 

ほんとうのほんとうのほんとうに、大切なところだと思うのです。

 

 

 

たとえば、

 

「すべては、ただ、起こっていること」

 

というメッセージを聞いたとします。

 

とてもシンプルなメッセージですね。

 

だけど、私たちは、そのシンプルさを、

 

シンプルなままに保っておくことができない。

 

どうしても、そこに、自分の考えや気持ちやからだの感覚などを投影して、

 

事態をどんどん複雑にしてしまう。

 

 

 

「ただ起こっているだけ、なんてあり得ない!

 

そこにはぜったいに意味があるはずなんだ!」とか、

 

「こんなメッセージはそれ自体が不愉快だ! 吐き気を覚える!」とか、

 

まあ、こんなに激しいものじゃなくても、

 

ほとんどの場合、そこにはなにかしらの「反応」が生まれますよね。

 

そして、その「反応」によって、シンプルな事実に味付けがされていく。

 

 

 

それはそれでいいんです。

 

なにも悪いことじゃない。

 

なにかに対して、機に応じて、多種多様な「反応」を示すのは、

 

人間として、ごくごく当たり前なのだから。

 

 

 

でも。

 

ここで一度立ち止まって考えてみてください。

 

 

 

その、思考や、感情や、体感としての「自分の反応」すらも、

 

ほんとうのところ、

 

「ただ、起こっている」ことなのだとしたら……?

 

どうしようもなく、逃れようもなく、

 

「ただ、起こっている」ことなのだとしたら……?

 

 

 

「すべては、ただ、起こっている」

 

「自分の思考、感情、体感すら、ぜんぶひっくるめて、ただ、起こっている」

 

 

 

この「どうしようもなさ」「逃れようのなさ」の海の中に、

 

完全に、完璧に、身を浸しきったとき……

 

求めていたものは、いまここに、すでにあった、と理解されることでしょう。

 

 

 

「どうしようもないこと」「逃れようのないこと」

 

それは、なにも、恐ろしいことなんかじゃ、ないのかもよ。

 

まるごと飛び込んだ瞬間に、“世界”は変わる――

 

 

 

 

 

 

 

よい一日を◎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横田南嶺さんの「さとり」インタビュー、全4回中の3回目です!

 

すべては「仏心」ひとつのあらわれ、「手放し」の仕組み、

 

「いま」と「永遠」について、などなど、

 

今回も目からウロコのほんとうのお話をたっぷりお聞かせくださいました。

 

どうぞお楽しみくださいませ。

 

 

 

横田南嶺さんインタビュー/夢と気づいて夢を生きること(3/4)

 

http://www.higan.net/satori/2016/01/yokota3.html