大きな大きな“「自分」としか呼べないもの”のこと。

2016年1月10日

たとえば、信じられないほどに悲しいことが起こって、

 

涙をぼろぼろ流して、鼻水もずるずるたらして、

 

大声でわーわー泣き叫んでいるとき。

 

ふっと、そんな自分を、ものすご~く静かに見つめている、

 

……というより、ただただ“受けいれている”、

 

大きな大きな「自分」としか呼べないもの。

 

その存在を、ただ、「感じる」ことってないですか?

 

 

 

この、大きな大きな“「自分」としか呼べないもの”っていうのは、

 

自我が作り出した幻想とは、まったくの別物です。

 

自我が作り出した幻想っておしゃべりなんですよ。

 

黙っていることができない。

 

その上、基本的にものすごく批判的。

 

悲しいことがあって泣いている自分に対して、

 

「あーあー、鼻水までたらしちゃってみっともない……」とか、

 

「周りの人たちみんな見てるよ、早く泣き止みなさいよ……」とか、

 

まあ、とにかく冷たくて厳しい意見を浴びせてくる。

 

こういうのは、自我が作り出した「もうひとりの自分」という名の他者です。

 

それは「自分」なんかじゃなくて、あくまで「他者」なんです。

 

 

 

そうじゃなくて、ただただ、ほんとうにただただ、

 

肉体を持った自分をもひっくるめた「すべて」を、

 

大いなる沈黙とともに、ただただ、“受けいれている”、

 

果てしなく巨大で、全宇宙にあまねく広がっている

 

“「自分」としか呼べないもの”……

 

その存在を感じることって、ないですか?

 

 

 

それこそが、「神」であったり、「仏」であったり、「大宇宙」であったり、

 

「愛」であったり、「LIFE」であったり、

 

あるいは、「ほんとうの自分」であったり……するのだと思います。

 

 

 

そして、それは、誰にだって「感じる」ことが可能です。

 

だって、誰ひとりとして、「それ」と離れたことなど、ないのだから。

 

ただ、ひたすらに、「それ」とともにあるだけで……

 

 

 

 

 

 

ようやく冬らしさが戻ってきましたね。

 

よい日曜日をお過ごしください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼岸寺で連載中の「ひらけ! さとり!」第二弾、

 

いよいよ本日公開です!

 

今回は、臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師にお話をおうかがいいたしました。

 

あたたかく、やさしく、それでいて切れ味鋭い、

 

「ほんとう」のお話盛りだくさんですよ。

 

ぜひ、最後までじっくりお楽しみくださいませ!

 

本日より4日連続更新です。

 

 

 

横田南嶺さんインタビュー/夢と気づいて夢を生きること(1/4)

 

http://www.higan.net/satori/2016/01/yokota1.html