「人間が仏として生きる道、それが仏道だよね」
……というのが、昨日の我が家の夕食時のメインテーマでした。
(どんな夫婦だ!)
「人間が仏になる道」じゃないんです。
「人間が仏として生きる道」なんです。
まあ、「成仏」ということばもありますしね、
「人間が仏に“なる”」っていうのが一般的な解釈なのでしょうけれど、
それだと、「人間」と「仏」が離れてしまっていますよね。
別個の存在になってしまっている。
しかも、“なる”っていうと、なんだか不可逆な感じがしませんか?
「人間」→「仏」
この矢印の向きは変わらなくて、
しかも、一度「仏」になることに成功したら、
「人間」は、もはや出る幕なし、みたいな、
そんなイメージがあると思うんですけど、
これ、私は、「そんなことないんじゃないかな~」と思うんです。
(上座部の方ではそのように考えるみたいですけれど……。)
だって、さっきも言ったけど、
そもそも「人間」と「仏」は不二(ふたつでない)であって、
まったくもって別個の存在ではないのだから。
「人間」も、「仏」も、
まったく同時に、いまここにあるのだから。
「成仏」したからと言って、
「人間」をやめることはできないんです。
お釈迦さまだって、空海さんだって、道元さんだって、白隠さんだって、
私は、最後まで「人間」だったと思いますよ。
人間として生まれた以上、死ぬまで人間をやらなきゃいけない。
だけど、人間は、仏として生きることもできるんです。
だって、そもそも、そのふたつは、決して離れてなんかいないのだから。
ただ、人間が仏として生きるためには、
「自覚」が必要なんですね。
「そもそも自分は仏だった」
「仏と一度も離れたことなんかなかった」
という不断の気づき。
それがないと、私たちは、
ずーっと、人間に閉じたままに生きてしまいます。
まあ、そうやって生きてもいいけれど、
そこは個人の自由だけれど、
ただ、それは「苦」の道だよ、と。
もっと違う道もあるんだよ、と。
仏として生きていく道もあるんだよ、と。
その「道」を説いているのが、「仏教」なんじゃないかな。
そんな素敵な道、歩まない手(というか足?)はないね。
今年の冬はあったかいですね。
よい一日を◎