仏道とは。

2016年1月6日

「人間が仏として生きる道、それが仏道だよね」

 

 

 

……というのが、昨日の我が家の夕食時のメインテーマでした。

 

(どんな夫婦だ!)

 

 

 

「人間が仏になる道」じゃないんです。

 

「人間が仏として生きる道」なんです。

 

 

 

まあ、「成仏」ということばもありますしね、

 

「人間が仏に“なる”」っていうのが一般的な解釈なのでしょうけれど、

 

それだと、「人間」と「仏」が離れてしまっていますよね。

 

別個の存在になってしまっている。

 

 

 

しかも、“なる”っていうと、なんだか不可逆な感じがしませんか?

 

「人間」→「仏」

 

この矢印の向きは変わらなくて、

 

しかも、一度「仏」になることに成功したら、

 

「人間」は、もはや出る幕なし、みたいな、

 

そんなイメージがあると思うんですけど、

 

これ、私は、「そんなことないんじゃないかな~」と思うんです。

 

(上座部の方ではそのように考えるみたいですけれど……。)

 

 

 

だって、さっきも言ったけど、

 

そもそも「人間」と「仏」は不二(ふたつでない)であって、

 

まったくもって別個の存在ではないのだから。

 

「人間」も、「仏」も、

 

まったく同時に、いまここにあるのだから。

 

 

 

「成仏」したからと言って、

 

「人間」をやめることはできないんです。

 

 

 

お釈迦さまだって、空海さんだって、道元さんだって、白隠さんだって、

 

私は、最後まで「人間」だったと思いますよ。

 

 

 

人間として生まれた以上、死ぬまで人間をやらなきゃいけない。

 

だけど、人間は、仏として生きることもできるんです。

 

だって、そもそも、そのふたつは、決して離れてなんかいないのだから。

 

 

 

ただ、人間が仏として生きるためには、

 

「自覚」が必要なんですね。

 

 

 

「そもそも自分は仏だった」

 

「仏と一度も離れたことなんかなかった」

 

という不断の気づき。

 

 

 

それがないと、私たちは、

 

ずーっと、人間に閉じたままに生きてしまいます。

 

 

 

まあ、そうやって生きてもいいけれど、

 

そこは個人の自由だけれど、

 

ただ、それは「苦」の道だよ、と。

 

もっと違う道もあるんだよ、と。

 

仏として生きていく道もあるんだよ、と。

 

 

 

その「道」を説いているのが、「仏教」なんじゃないかな。

 

 

 

そんな素敵な道、歩まない手(というか足?)はないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の冬はあったかいですね。

 

よい一日を◎