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笑子バアさん「私、ここにいても、いいんですか?」
マツコロイド「ていうか、もういるし。」
(木皿泉脚本ドラマ「富士ファミリー」より)
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年末年始、実家に帰ったときに、妹が、リビングのテーブルで、
ずーっとジグソーパズルをやっていたんです。
そのパズルっていうのが、よりにもよって、
ウユニ塩湖の風景写真の図柄で。
真ん中にちっちゃ~~~い人間の影がふたつ見えるだけで、
あとは一面、真っ青な空&それを映した真っ青な湖!!!
みたいなやつだったんですね。
パズルにするには、ちょっとあまりにもシンプルすぎるというか、
とっかかりがなさすぎる図柄で、さすがに笑ってしまったのですが……。
でも、「これ、やっていくうちに、どんどん精神が研ぎ澄まされてきて、
微妙な青の違いにも気づける自分になってくるんだよ……」
なんてことを言いながら、眉間にしわを寄せて、
あれでもない、これでもない、と、必死でパズルに取り組んでいる
妹の様子を眺めているうちに、私、なんだかしみじみしてきちゃったんですね。
妹の姿に、というより(笑)
ジグソーパズルというもの自体の構造に、感じ入るものがあった。
だってあれ、どんなに似たような色をして、どんなに似たようなかたちをしても、
ひとつのピースがぴたっとはまるところは、結局、ひとつ、なんですよね。
逆に言えば、どんなピースにだって、
かならず、ぴたっとはまる場所が用意されている、ということ。
そして、ひとつひとつの必然が積み重なったとき、
その集合体として、一枚の完璧な絵が完成する……。
まあ、もともとひとつだったものを、ばらばらにしてしまったのが、
そもそもパズルというものなのだから、当然と言えば当然なのですが。
でも、私はそこに、
ひとつひとつの存在、ひとりひとりの人間と、
世界と呼ばれるものとの関係と、
まったく同じものを感じてしまったのです。
ほんとうは、この世界に、「はみ出し者」なんて、
ひとつとして、ひとりとして、存在しない。
「すでにいる」「ここにいる」
それだけで、その証としては、十分だ。
……なんてね。
三が日も今日でおしまい。
よき日をお過ごしくださいね。