「神は愛なり」
とは、聖書の中の一節です。
「神は愛」。
これ、「神の愛」とはまったく趣が異なりますよね。
「神の愛」と聞くと、
なんというか、こう、
神と呼ばれる存在は人間とはまったく別個のものとしていらっしゃるのだ、
そしてそれはたいそう偉大な愛を携えたお方であらしゃるのだ、
われわれ人間はその愛によって今日まで生きながらえさせていただいておるのだ、
だからわれわれはそのお方を一心に拝まなきゃならないのだ、
……といったようなお話(物語)を想起させられますが、
「神は愛」っていうのはそうじゃない。
神と愛とは、同義なのだ、と。
神、それ自体が、愛なのだ、と。
所有格のない「愛」は、
それゆえに、世界に遍在しています。
どこを取っても、愛ばかり。
愛でないもの、なし。
そして、それはそのまま、
どこを取っても、神ばかり。
神でないもの、なし。
……ということにもなるわけですが。
「神は愛なり」
このことばの意味がよくわからなくても、
おなかの底のふか~い部分に、
ほんのかすかなものであったとしても、
あったかくて、なつかしくて、ひろがっていくような感じを覚えたのなら、
まずはゆっくり目を閉じて、
愛そのものとしての世界を、思い描いてみましょうか。
そうしてゆっくり目を開けて、
それがまったき真実であることを、ただただ感じてみましょうか。
よいクリスマスを。