冬来たりなば

2015年12月22日

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少年は自分の国の古いことわざを思い出した。

 

それは、夜明けの直前に、最も暗い時間がくる、というものだった。

 

 

 

(『アルケミスト 夢を旅した少年』パウロ・コエーリョ=著 山川紘矢+山川亜希子=訳 角川文庫 より抜粋)

 

 

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今日は冬至ですねえ。

 

 

 

私、昔から、冬至って好きなんですよね。

 

「冬来たりなば春遠からじ」というか、

 

「陰極まりて陽に転ず」の象徴みたいな日ですからね。

 

もう、ここには、希望しかない。

 

ほのぼのと、明るい気分しかないです。

 

 

 

冬来たりなば……と言えば、

 

すべての葉を落としてしまって、

 

すっかりまるはだかとなった木々を眺めるのも好きです。

 

むき出しとなった枝の先には、むしろ、

 

無数の花々の気配を、直に感じ取れるような気がするから。

 

 

 

 

 

でも、ここで言いたいのは、

 

「どん底まで落ちたら、あとは上るだけだもんね~」というような、

 

自棄っぱちオプティミスト(強気のペシミスト?)的な気分のことじゃなくて……

 

いや、もちろんそれもありますが……

 

 

 

なんというのかな……

 

「枯れ枝は枯れ枝で、とてつもなくうつくしい」

 

「なぜなら、そこに“すべて”が内包されているから」

 

というか……

 

どうしても陳腐な表現になってしまうんですけれど……。

 

 

 

 

 

私たちは、冬の枯れ枝を見ても、

 

そこに、枯れ枝「だけ」を見ているわけじゃないんですよね。

 

枯れ枝の姿を通して、

 

まだ見ぬ、もしくは過ぎ去りしいつかの、

 

花の季節、青葉の季節、紅葉の季節……をも、

 

また、同時に、確実に、見ている。

 

 

 

これって、地味にすごいことだと思いませんか?

 

私たち、冬の只中にいながらにして、

 

いまここで、すべての季節を、同時に「見る」ことができるんですよ?

 

 

 

これ、そのまま、

 

季節の流れの中に、固定化された「冬」があるわけじゃなくて、

 

「冬」の中に、「春」も、「夏」も、「秋」も、

 

すべて、確実に、存在している!

 

……っていうことの、動かぬ証拠になると思いませんか?

 

 

 

 

 

過去から未来へと伸びた不可逆の直線の上に

 

いまという狭苦しい一点があるのではなくて、

 

「いま」という無限の広がりの中に

 

「過去」や「未来」がのびのびと存在している――

 

 

 

「ひとつ」の中に、あらゆる「すべて」がある――

 

 

 

すべては、「いまここ」にある――

 

 

 

 

 

こんなに豊かなことって、あるかな?

 

 

 

 

 

目を閉じて、「いまここ」という豊かさを、

 

じっくり感じて、味わってみてください。

 

次に目を開いたときには、「世界」の見え方が、変わっているかもよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうか、よき日を。

 

よき世界を。