「すべては、ただ、起こっている」≠「なにもしない」

2015年12月20日

「すべては、ただ、起こっている」

 

「以上!」

 

 

 

……なんてことを言うと、時折、

 

「え、じゃあ、アンタはなにも行動しないんかい!?」

 

「悲惨な状況を前にしても、ただ傍観しているだけなんかい!?」

 

みたいな反応をいただくのですが、

 

それはまったく違います。

 

 

 

「すべては、ただ、起こっている」

 

それは真実です。

 

だけど、その上で、やはり、「行動」は起きてくるんです。

 

 

 

事実、私、地味なりにも、

 

めちゃめちゃいろいろ「行動」しているでしょう?(笑)

 

「なにもしないんかい!?」

 

みたいなことを言う人には、

 

「え、じゃあさ、まずさ、アンタは毎日超早朝に起き出してさ、

 

一日も欠かさず文章をアップできるんかいな!?」

 

と、そこの部分から、

 

ひとつひとつ、ネチネチと問いただして差し上げたい……!

 

 

 

まあ、私の話はともかくとして……。

 

(スミマセンでした。)

 

 

 

人間っていうのは、どうしても「行動」をする(してしまう)生き物なんですね。

 

 

 

でも、その「行動」すら、

 

ほんとうの意味では、

 

「自らの意思」で選び取ったものではなく、

 

「ただ、起こっている」だけ…… なんです。

 

 

 

なにかに対する自分の反応、

 

自分の行動(「なにもしない」という行動も含めて)すら、

 

すべて、

 

ほんとうにすべて、

 

「ただ、起こっている」だけなんです。

 

 

 

「すべては、ただ、起こっている」

 

 

 

その真実からは、どうしたって逃れられないんです。

 

だって、「自分」という現象すら、

 

緊密すぎるほどに緊密に編みこまれたご縁の網目の中の、

 

ほんのひとつの結節点に過ぎないのだから。

 

そして、「縁」というのは、それ自体が、永遠のミステリーなのだから。

 

 

 

このことが、あたまだけじゃなくて、

 

おなかのふか~い部分で理解されていくにつれ、

 

「自分」をも含めた「誰か」の「行動」を、

 

とやかく言うことがなくなっていきます。

 

 

 

いや、とやかく言ってもいいんですけれど、

 

というか「縁次第」で、誰かに向かって

 

とやかく言わざるを得ないときだって

 

人間、絶対にあるでしょうけれど、

 

まあ、とにかく、

 

とやかく言いつつも、

 

もしくは言われつつも、

 

ベースの部分では、いつだって、

 

「これすら、ただ、起こっていることなのだ」と、

 

「すべては、ただ、起こっていることなのだ」と、

 

そんな風に、一切の力みなく、

 

確信を超えた確信とともにあることができたなら、

 

“本来的なつながり”がもたらす絶対的な安心感の中で、

 

ただただ、ゆったりと、くつろいでいられるんですね。

 

 

 

そういう風に生きていける人が増えたら、素敵だなあ……と。

 

単純にそう思うわけで、

 

単純にそういうところに憧れるわけで、

 

そこから、私のいろんな行動が生まれているんですね。

 

まあ、こういうのだって、結局、すべて、

 

「縁によって……」なんですけれど。

 

 

 

逃れられないねえ(笑)

 

 

 

でも、その「逃れられなさ」は、光そのものだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行動したり、しなかったり。

 

“ありのまま”にくつろぎながら、

 

今日も、ただただ、生きていく。

 

 

 

 

 

よい一日を◎