中心も主役もなく……

2015年12月18日

ほんとうのほんとうのほんとうに、

 

すべては、ただ、起こっているだけだなあ、と。

 

 

 

その「すべて」は、文字通り「すべて」で。

 

その中には、もちろん、

 

「私」の思考だったり、

 

「私」の感情だったり、

 

「私」の身体感覚だったり、

 

そういったものも、すべて含まれていて。

 

 

 

「私」はいないけれど、

 

「私」という感覚はある。

 

まぎれもなくある。

 

でも、それらを含めた「すべて」に、「中心」はない。

 

だから、そこには「主役」もいない。

 

 

 

朝の訪れを告げる鳥のさえずりと、

 

「私」の「今日なに着ようかな」と、

 

冷たい風の中に混じる遠くのたき火のかすかな匂いと、

 

「私」の少しばかりメランコリックな気分と、

 

通りを走る車のクラクションと、

 

「私」の左手親指のささくれと……

 

 

 

それらすべてがまったくの同列にあり、

 

ただただ、いまここで、戯れのようにして起こっている。

 

ただ、それだけ。

 

 

 

「私」はいない。

 

「中心」はない。

 

「主役」もいない。

 

すべては、ただ、起こっているだけ。

 

ただ、それだけ。

 

 

 

でも、だからこそ、

 

すべてが「中心」で、

 

すべてが「主役」、

 

つまるところ、

 

すべては「わたし」、

 

……でもあるのです。

 

 

 

「私」はいない――

 

すべては「わたし」――

 

 

 

あたまで考えると、矛盾にとらわれてしまいます。

 

ただ、おなかの底で、それを感じるだけでいい。

 

感じようともせずに、静かに、ゆったりとくつろいで、

 

ただただ“それとともにある”だけで。

 

 

 

私たちは、ひとりのこらず、

 

一度たりとも、一瞬たりとも、

 

それと離れたことは、ないのだから。

 

それでなかったことなど、ないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よい一日を◎