象徴としてのフェイスブック

2015年12月7日

昨日の朝、フェイスブックのタイムラインをぼんやり眺めていて、

 

ふと、

 

これほど象徴的なものもないよなあ~

 

という思いが湧き上がってきて、

 

と同時にこみ上げてくるものがあって、

 

しばらくの間、PCの前で、ひとり静かに笑っていました。

 

 

 

これ、フェイスブックじゃなくても、ツイッターとかインスタグラムとか、

 

ありとあらゆるSNSに言えることだと思うのですが、

 

まあ、ここではフェイスブックを例にとってお話をしますね。

 

 

 

 

 

フェイスブックのタイムラインには、ありとあらゆる情報が流れてきます。

 

ことばだったり、写真だったり、動画だったり、ネット記事のシェアだったり。

 

そして、そのすべてには、「誰の」投稿であるのかが、

 

くっきりはっきり示されています。

 

つまり、フェイスブック上には、

 

無数の「個」の情報が溢れている、ということが言えます。

 

 

 

が。

 

しかし、です。

 

 

 

数えきれないほどの「個」の氾濫の舞台になっているにもかかわらず、

 

フェイスブックそれ自体は、変わらず、ひとつ、なんですね。

 

 

 

さらに、

 

ことばだったり、写真だったり、動画だったり、

 

ネット記事のシェアだったりの「個」の情報には、

 

かならず、

 

よろこび、悲しみ、怒りなど、なんらかの感情が乗っけられています。

 

 

 

「大親友が赤ちゃんを産みました! めちゃめちゃうれしい! ほんとうにおめでとう!」

 

「酔って財布とスマホを失くしました……サイアクです……」

 

「このニュースをどう思いますか? 僕は憤りを感じます。」

 

などなど……

 

 

 

フェイスブックは感情の宝石箱や~~~!

 

……と、思わず彦摩呂になってしまいましたが、

 

そこはまさに「色」とりどりの世界です。

 

 

 

が。

 

しかし、です。

 

 

 

そこでどんなに「個」の感情が炸裂しまくっていたとしても、

 

フェイスブックそれ自体には、一ミリだって影響がない、のですよね。

 

 

 

般若心経に

 

不生不滅 不垢不浄 不増不減

 

っていうところがありますが、まさにそれ。

 

 

 

タイムライン上に無数の「個」が色づけをしたところで、

 

フェイスブックそれ自体は、

 

生ずることも、滅することもなく、

 

汚れることも、清らかになることもなく、

 

増えることも、減ることもなく、

 

ただ、そこに、それとして、「在る」だけ。

 

 

 

そうですよね?

 

 

 

 

 

で、です。

 

いま言ってきたようなことって、そのまま、

 

私たちが住んでいる「世界」にもあてはまりますよね。

 

って急に話が大きくなって恐縮ですが。

 

 

 

この世界には、無数の「個」が存在して、

 

それぞれ、瞬間ごとに、いろいろなことをして、

 

いろいろな感情を爆発させるようにして生きています。

 

でも、それにもかかわらず、

 

それらすべてを生じさせている大きな力、それ自体は、ひとつ。

 

そして、それ自体、

 

生ずることも、滅することもなく、

 

汚れることも、清らかになることもなく、

 

増えることも、減ることもなく、

 

ただ、そこに、それとして、「在る」だけ。

 

 

 

この「大きな力」には、いろんなことばが当てられますよね。

 

「神」だったり、「仏」だったり、「宇宙」だったり、「空」だったり……。

 

でも、それらが指しているものは、みな、同じもの(もの、じゃないけど)です。

 

 

 

 

 

色不異空 空不異色

 

色即是空 空即是色

 

 

 

 

 

すごいなあ。

 

どうも、「世界」は、そういう風にできているらしい。

 

そして、「世界」の仕組みの類似(相似?)形は、

 

世の中のいろ~んなところに存在していて、

 

私たちが“それ”に気づいて、「ああ……!」となるような瞬間を、

 

いまか、いまか、と待ちわびている……らしい……?

 

 

 

そう考えると、なんだか楽しくなってきませんか?

 

私は、楽しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、月曜日。

 

今週も、発見に満ちた日々となりますよう。

 

 

 

 

 

よい一日を◎