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In the middle of difficulty lies opportunity.
好機は困難の中に横たわっている。
(アルバート・アインシュタイン)
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好機は、困難の中に……
ふーむ……。
まさしく、ほんとうのことばだなあ、と、しみじみ……。
アインシュタイン、すげー!
(小学生並みの感想!)
で。
私が思うに、たぶん、これにはふたつの意味がある。
今日はそのあたりを書いてみようと思います。
ひとつは、「やったー! これで軌道修正ができるぞ!」という考え方。
困難にぶちあたっている、ということは、
つまり、いままでのやり方に、なにかしらの問題があった、っていうことですよね。
「ブッブー! そのままじゃ先に進めないよ~!」
っていうことを教えるために、困難さん(あえて“さん”を付けよう)が
目の前に立ちはだかってくれたわけで。
問題と直面するのは、恐いし、悔しいし、痛いし、つらいけど、
(だって、いままでの自分のやり方を、いったんは否定することになるのだから)
でも、これはそのまま、飛躍の大チャンスでもあるわけです。
軌道修正ができるって、恩寵です。
やり方を工夫して、より良いものを生み出していけるって、
単純に、ものすごく素晴らしいこと。
ここまでくると、そこにはもう、「希望」しかないしね。
ありとあらゆる仕事の醍醐味って、
まさにここにあるんじゃないかな、とも思います。
これが、まずは、ひとつ、です。
で。
「好機は困難の中に……」の、もうひとつの意味ですね。
こちらは、ちょっとことばにしづらくて、
頭での理解は難しいところではあるのですが、
まあ、いつも書いていることなので(笑)
そのまま、ストレートに表現します。
ここで言う「好機」は、
そのまま、
“ほんとうの自分”に出会う機会、
ということになります。
困難って、たいていの場合、私たちのこころに大嵐を連れてくるんですよね。
悲しみや、怒りや、悔しさや、恐怖や……
ありとあらゆるネガティブな感情が、それに付随して起こってくる。
それ自体、別に悪いことじゃないけれど、
でも、その感情、それ自体を「自分」だと思ってしまうと、
そこにはどうしようもない苦しみが生まれてしまうんですね……。
その苦しみから脱出する方法はただひとつ。
感情の嵐に翻弄されている自分に“気づく”こと。
“気づいている自分”は、「感情に翻弄されている自分」とは、
明らかに、別個の、なにか、ですよね?
その、どっしりとした“気づき”の主体こそが、“ほんとうの自分”です。
というか、“気づき”そのものが、“ほんとうの自分”です。
ありとあらゆる感情、思考、感覚を、
それ自体、決して傷付くことも、汚れることもなく、
ただただそのまま映し出し続ける、
まっさらな「スクリーン」としての、
“ほんとうの自分”。
困難それ自体に意識を向けるのではなく、
“「困難を感じている自分」を見つめている存在”に意識を向けるのです。
“ほんとうの自分”に出会えたら、
困難それ自体が、消えてしまいます。
困難すらも“自分”だった、ということに気づけるから。
こうなったら、文字通り“敵無し”ですね。
生きるっていうのは、毎瞬、バッターボックスに立つようなものなのだなあ、
なんてことを思います。
ボールは、毎瞬、自分に向かって飛んでくる。
それを「困難」ととるか、「好機」ととるかによって、
人生の質っていうのは、まったく変わってしまうのだろうなあ、と。
ボールを嫌がって逃げ回っていたら、決してヒットは打てないわけで。
ホームランなんかもってのほか、なわけで。
In the middle of difficulty lies opportunity.
好機は困難の中に横たわっている。
これを合言葉にして、
「よし、来い!」とバットを構えて、
下っ腹に力を込めて、
深刻にならずに、でも、ごくごく真剣に、
一球一球に向き合っていきたいものだなあ、
なんて。
そっちの方が、人生、楽しそうだもんね。
今年も残り一ヶ月。
できるだけ、面白おかしく生きていきましょう◎
よき日を!