毒矢のたとえ

2015年11月30日

==============================================================

 

 

 

ある弟子が、お釈迦さまに対して、以下のような質問を投げかけました。

 

 

 

「世界は未来永劫に存在するのでしょうか?」

 

「世界には果てがあるのでしょうか?」

 

「如来は死後も存在するのでしょうか?」

 

「これらの問いに答えてくださらないならば、自分は還俗します。」

 

 

 

これに対して、お釈迦さまは次のようなたとえ話をなさいました。

 

 

 

「ある男が毒矢で射られてしまいました。

 

お医者さんがやってきて、刺さった矢を抜こうとしたところ、

 

その男はこのように叫びました。

 

 

 

『この矢はどういう人が射たのか? その人はなんという名前か?

 

背は高いのか? それとも低いのか? 町の人なのか? それとも村の人なのか?

 

私はまずそれを知りたいのだ。

 

これらのことがぜんぶわかるまで、この矢を抜いてはならない。』

 

 

 

しかし、もしその男の言う通りにしていたら、彼は死んでしまうでしょう。

 

 

 

あなたの問いはそれと同じなのです。

 

だから、私はあなたの問いに答えることはできません。

 

私は説くべきことのみを説きます。」

 

 

 

==============================================================

 

 

 

 

 

上記は、「毒矢のたとえ」として知られる、非常に有名なお話ですが、

 

実は、私、お恥ずかしいことに、かなりの長きにわたって、

 

このたとえ話のキモを、まったく理解することができなかったんです。

 

 

 

 

 

まあ、簡単に言えば、質問をしたお弟子さんの方に、

 

思いっきり肩入れをしていたわけですね。

 

「わかる! あんたが聞きたいこと、よ~くわかるよ!

 

そういう疑問、湧いてくるよね!

 

世界は自分の死んだあとも続くのかどうかとか、

 

“私の世界”と同様に、“彼の世界”や“彼女の世界”っていうのが

 

確固たるものとして存在するのかどうかとか、

 

そういうの、め~~~っちゃ気になるよね!

 

こういうところ、お釈迦さまには、ちゃんとことばにして説明して欲しいよね!」

 

って。

 

 

 

だから、この弟子の質問群に対するお釈迦さまの答えには、

 

まったくもって納得できなかった。

 

 

 

っていうか、正直、

 

「お釈迦さま、ちょっとズルくね~!?」

 

「はっきりと答えられないからって、理屈並べて逃げただけじゃね~!?」

 

なんて思ってました。

 

それどころか、

 

「お釈迦さま、ほんとうはなにもわかってないんじゃね~~~!?」

 

とまで……!!!

 

 

 

 

 

いやー……

 

でもね、

 

言うまでもなく、

 

「わかってない」のは、私の方でした。

 

本当にすみませんでした!!!(伏して!!!)

 

 

 

 

 

お釈迦さまは、やっぱり、正しいよ。

 

だって、いくら「考えて」もわかりようのないことを考え続けたところで、

 

ぜんぜん、

 

もう、ほんとうにぜんぜん!

 

意味なんてないんだもん。

 

 

 

それどころか、

 

「理解できるまでここを動かない!」

 

なんてことをやっているうちに、

 

きっと、あっという間に、

 

「はい、寿命終了~。オムカエデゴンス。」

 

ってことになってしまうんだもん。

 

 

 

人生って、実際、め~~~ちゃめちゃ短いんだもん。

 

 

 

 

 

それならば、「わからない」という事実を潔く認めつつ、

 

実際に動いちゃった方が、100万倍マシなんじゃない?

 

動かなかったら、わかるものもわからないままだよ。

 

 

 

一歩も動かないままに死んでしまうような人生なんて……。

 

 

 

なんて……。

 

 

 

いや、マジで笑えないお話です……。

 

だって、これ、実際にそこここで起きている悲劇だと思うから……。

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

ここでもうひとつ、私自身の恥ずかしいお話を披露させていただきますね。

 

 

 

 

 

大学生の頃、「免許を取ろう!」と思い立ち、

 

自動車教習学校に通うことにしたは良いけれど、

 

そこで、私は、

 

はじめのはじめのはじめっから!

 

思いっきり躓くこととなったのでした……。

 

 

 

顛末はこうです。

 

 

 

入学して一番はじめの簡単な座学を終えたのち、

 

いざ、教習車に乗り込み、

 

生まれてはじめて運転席について、シートベルトをしめた私は、

 

その直後、矢継ぎ早に、こんな質問の数々を、

 

助手席に座る教官に投げかけたのです。

 

 

 

「私、マニュアル車の構造がまだぜんぜん理解できていないんですけど!」

 

「なんでクラッチペダルを踏むとエンジンが起動するんですか?」

 

「クラッチ、半分だけ踏み込むんですか? なんで? 必然性はあるんですか?」

 

「“つなぐ”ってなに? なにとなにを“つなぐ”んですか?」

 

「エンストってなんですか? どうして起こってくるんですか?」

 

「とりあえず、いま言ったようなこと、ぜんぶ納得できないうちは、

 

私、車を発進させることなんかできません!!!」

 

 

 

そんな私に対して、教官(50代のおばちゃん/バリバリの東北弁ユーザー)は、

 

ものすご~~~く大きなため息をついて、

 

この世の終わりを思わせるような呆れ顔で、こう言ったのです。

 

 

 

「おめ、いったい、なにしにこごさ来たんだ?

 

こごは車を運転する場所だろ?

 

わがってっか、それ?

 

理屈はいいがら、さっさと発進させれ!

 

話はそれがらだ!

 

ばかか、おめは!!!」

 

 

 

 

 

これね……

 

いま思い出しても、顔から火が出るようなお話なのですが……。

 

 

 

考えてみたら、私、その後の人生でも、割といろんな場面で、

 

同じ過ちを犯し続けてきたようなところ、あるな~って……。

 

 

 

大反省。。。

 

 

 

 

 

私は「車の構造を理解したい」のか、

 

それとも「車を実際に運転したい」のか。

 

「この世の仕組みを理解したい」のか、

 

それとも「地に足をつけてこの世をしっかり生き抜きたい」のか。

 

 

 

どっち?

 

ねえ、どっち???

 

 

 

……答えは、明白ですね。

 

 

 

 

 

「理屈はいいがら、さっさと発進させれ!」

 

 

 

はい! そうします!!!(涙)

 

 

 

 

 

つまりは、そういうことなんだと思うのです……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冷たい風が肌に心地よい朝です。

 

 

 

よき日をお過ごしくださいね◎