降参しても、しなくても。

2015年11月26日

過ぎ去ったことに対して、

 

「ああすればよかった、いや、こうすればよかった」

 

とクヨクヨ悔やんでみたり。

 

未だ来たらぬことに対して、

 

「ああすればよいのではないか、いや、こうすればよいのではないか」

 

とモヤモヤ思い悩んでみたり。

 

 

 

悔やんだり、思い悩んだりした結果、

 

「じゃあ、こうしてみよう!」

 

とポジティブに動いてみたり。

 

「動いたところでどうにもならないよ……」

 

とネガティブにいじけてみたり。

 

 

 

「過去」や「未来」に対する反応は、

 

ひとりひとり、その時々によって違うけれど、

 

 

でも、

 

 

「過去」や「未来」に反応して、

 

あれやこれやを、したり、しなかったりするのは、

 

 

いつだって、

 

まごうかたなく、

 

 

「いま」

 

 

なんですよね。

 

 

それだけは、ぜったいに、変わらないところで。

 

 

 

どんな思いを持っても、あるいは持たなくても、

 

どんな行動をとっても、あるいはとらなくても、

 

私たちは、結局、いつだって、「いま」を、生きている。

 

どうしようもなく、「いま」を、生きている。

 

 

 

どこまで行っても、「いま」は「いま」。

 

どこまで行っても、「仏」の手の上。

 

 

 

降参してみても、いいのかも。

 

してみなくても、いいのかも。

 

 

 

安心していても、いいのかも。

 

していなくても、いいのかも。

 

 

 

 

 

 

 

東京は、雨。

 

冬の到来を思わせる、肌寒い朝です。

 

どうか、ご自愛くださいね。