過ぎ去ったことに対して、
「ああすればよかった、いや、こうすればよかった」
とクヨクヨ悔やんでみたり。
未だ来たらぬことに対して、
「ああすればよいのではないか、いや、こうすればよいのではないか」
とモヤモヤ思い悩んでみたり。
悔やんだり、思い悩んだりした結果、
「じゃあ、こうしてみよう!」
とポジティブに動いてみたり。
「動いたところでどうにもならないよ……」
とネガティブにいじけてみたり。
「過去」や「未来」に対する反応は、
ひとりひとり、その時々によって違うけれど、
でも、
「過去」や「未来」に反応して、
あれやこれやを、したり、しなかったりするのは、
いつだって、
まごうかたなく、
「いま」
なんですよね。
それだけは、ぜったいに、変わらないところで。
どんな思いを持っても、あるいは持たなくても、
どんな行動をとっても、あるいはとらなくても、
私たちは、結局、いつだって、「いま」を、生きている。
どうしようもなく、「いま」を、生きている。
どこまで行っても、「いま」は「いま」。
どこまで行っても、「仏」の手の上。
降参してみても、いいのかも。
してみなくても、いいのかも。
安心していても、いいのかも。
していなくても、いいのかも。
東京は、雨。
冬の到来を思わせる、肌寒い朝です。
どうか、ご自愛くださいね。