世界は、私の悪いようにはしない。

2015年11月24日

つい先日、私は、久しぶりに、「大泣き」という行為に没頭しました。

 

いや、こんな風に表現すると、非常に奇妙な感じなのですが、

 

でも、実感として、一番しっくりくる言い方がこれなのです。

 

実際、私は、途中から、

 

「泣こう! いまは泣くときだ!」と思って、

 

ほとんど「意図的に」涙を流しっぱなしにしていたのでした。

 

 

 

大泣きのきっかけは明白でした。

 

簡単に言えば「ショックな出来事」っていうのが

 

我が身に降りかかってきたわけですが、

 

それは、ほんとうに、単なる「きっかけ」でしかなかったんです。

 

 

 

たぶん、私は、単純に「泣きたかった」んだと思う。

 

 

 

少し前から、私の中に、「悲しみ」としか呼べないなにかが、

 

しんしんと溜まり続けていっているのを感じてはいたのですが、

 

(特別になにかがあったわけでもないけれど、日々見聞きするあれやこれや、

 

肌で感じるあれやこれやに、こころは小さく傷つき続けていたのでしょう)

 

でも、まあ、そのままでも、日常生活を送る上では、特別に支障はないし、

 

見て見ぬふりをし続けていたのですが、

 

それでも、「悲しみ」自体は、

 

きっと、ずっと、外に出たがっていたのだと思います。

 

 

 

ショックな出来事という「きっかけ」を得て、

 

涙という形となって外に飛び出した「悲しみ」は、

 

一度勢いをつけたら、とどまるところを知りませんでした。

 

 

 

右目から左目から、涙はあとからあとから湧いてきて、

 

まったく止まりそうになかったので、

 

「ちょ、ちょ、ちょっとタンマ……!」(←この言い方から昭和臭が……!)

 

とばかりにお風呂場に駆け込んで、

 

「よし、ここで思いっきり泣こう!」と。

 

そこから2時間以上、連続で泣き通しでした。

 

誰に遠慮することなく、わんわんぎゃんぎゃん泣きました。

 

「いまは泣くときだ!」と思って、わんわんぎゃんぎゃん泣きました。

 

 

 

で、ある瞬間に、涙はぴたっとおさまりました。

 

たぶん、からだの中に溜まっていた「悲しみ」が、

 

綺麗さっぱり「からっぽ」になった瞬間だったのでしょう。

 

 

 

シャワーを浴びて、歯を磨いて、布団に入ったら、

 

その瞬間に、ほとんど気絶するようにして、眠りに落ちてしまいました。

 

 

 

ぐっすり眠って、次に目覚めたら、

 

両目は、さすがにベンゾーさんみたいに腫れ上がっていましたが、

 

あたまも、からだも、こころも、

 

とにかく、驚くほどクリアで、

 

深呼吸をすると、朝の冷たい空気が、

 

すみずみまでしみわたっていくのが感じられて……

 

なんだか、とっても爽快なのでした。

 

 

 

その日は、一日その爽快感が続いていました。

 

さらに、すっかり「からっぽ」になった

 

私のあたま、からだ、こころには、

 

いま、まさに、私が必要としていた「答え」が、

 

いろんな形をとって、まったくあたらしく、次々に訪れてくれたのです。

 

 

 

光が、見えた気がしました。

 

 

 

ああ、そうか。

 

私は、これが欲しかったんだな、と。

 

 

 

ここにある光を見出すには、

 

私の中には、あまりにも「悲しみ」が詰まり過ぎていた。

 

それを追い出すために、あの出来事が、あったんだな、と。

 

 

 

ショックな出来事があったから泣いたんじゃなくて、

 

泣きたかったから、あの出来事にショックを受けたんだ、と。

 

泣くことが必要だったから、きっかけが与えられたんだ、と。

 

 

 

確信を持って、そう感じたのです。

 

 

 

なんだ、うまくできてるじゃん。

 

安心して、ゆだねていても、いいんじゃん。

 

 

 

ことばにするとやけに陳腐な感じになってしまうのですが、

 

でも、ほんとうに思ったのです。

 

 

 

世界は、私の悪いようにはしない。

 

ぜんぶ、これで、大丈夫。

 

オールオッケーだ!

 

 

 

私の見たかった圧倒的な希望の光の中で、そう思ったのです。

 

 

 

 

 

……うまくまとめられた気がしないけれど、実感の中で書いてみました。

 

なにか、届いてくれるといいな。

 

 

 

 

 

 

 

日日是好日

 

 

 

今日も、お元気で。