「わたしの趣味は、あなたです」についての一考察

2015年11月18日

「わたしの趣味は、あなたです」

 

 

 

これね、いまから10年ほど前に、

 

某日本酒のCMに使われていたコピーなんですけれど、

 

どうなんでしょうね……?

 

いや、当時ピチピチの女子大生だった私は(そんな時代もあったのだ!)

 

このCMが流れるたびに、

 

「なんて素敵なセリフなんでしょう! 誰かに言われてみたいなあ~」

 

と、うっとりしちゃったりなんかしていたものですが、

 

(とても素敵なCMだったのです。永作博美さんが本当に綺麗でね……)

 

これね~……

 

実際問題、このセリフが好意的な感情を持って受け止められるかどうかは、

 

すべて、それを発する人との関係性によるのではないかしら……

 

なんてことを、三十路を超えたいまの私は思うわけです……。

 

って、いきなり身も蓋もない話で恐縮ですが……。

 

 

 

 

 

あの、ほら、よく言うじゃないですか。

 

「人という字は、人と人とが支えあって……」ってやつ。

 

 

 

これは……まあ、そうなんですよ。

 

べつにここで語られていることを否定したいわけじゃない。

 

むしろ、これ、大正解です。金八先生、なにも間違っていない。笑

 

私たちは、事実、互いに支えあって生きている。

 

というか、存在自体、そういう風にして成り立っている。

 

仏教で言う「縁起」ってやつですね。

 

これはすべての存在の大前提です。

 

 

 

でも、この事実と、

 

こう、なんというか、

 

自分というものをすっかり丸投げして、ベタベタと相手にもたれかかる、

 

という態度とは、まったくの別物だと思うんですよね。

 

 

 

「人という字は~」って、

 

それはもはや大前提、誰しもの存在の根っこにある事実なので、

 

それをわざわざ誰かとの関係の中でベタベタと体現してみせなくていい、というか……。

 

 

 

なんだろな。

 

理想の人間関係って、「人」というより、むしろ「11」みたいなものだと思うんですよ。

 

数字の「11」ね。

 

1、と、1、とが、もたれかからず、つかず、離れず、

 

でも、寄り添っている、というかね……。

 

 

 

いや、もちろんね、人間だもの。

 

ときにはこころ弱くなって、誰かにもたれかかってしまうことだってあるでしょう。

 

それはまったく悪いことじゃない。

 

甘えられるときには、積極的に甘えてしまってもぜんぜんOKだと思います。

 

そういうときだって、人間、絶対に必要です。

 

 

 

でも、ベースとする部分では、いつだって、

 

「私」と、「あなた」は、

 

あくまで、

 

「ひとり」と、「ひとり」であることを、

 

忘れちゃいけないんじゃないかなあ……と。

 

そうでないと、やっぱり、どこかおかしくなってきちゃうと思うんですよね。

 

自らの経験を省みてもね。

 

 

 

 

 

で、です。

 

ここからが大事なところなのですが、

 

しかし、

 

この「11」的な人間関係って、ベースに「人」的な関係がないと、

 

ほんとうには成り立たないのかもしれない。

 

 

 

というか、

 

根っこの部分に、「人」的な関係への理解がどっしりと横たわっているからこそ、

 

真実、成り立ってくる。

 

という方が、正確かもしれない。

 

 

 

「私」と「あなた」は、真実、支え合って存在している――

 

その根源的な事実を、互いに、理屈を超えたところから理解しあったところに、

 

はじめて、

 

1、と、1、とが、もたれかからず、つかず、離れず、でも、寄り添っている

 

そういう、理想的な人間関係が生じてくる、というか……。

 

 

 

ベースに「人」への信頼感があるから、

 

安心して「11」でいられる、

 

「ひとり」と「ひとり」でいられる、というかね。

 

 

 

もっとはっきり言えば、

 

ベタベタともたれかからずに、

 

つまり、変な風に依存的じゃなく、

 

互いに心地よくいられる、というか。

 

(今日の投稿は常にも増して「というか」が多いね。)

 

 

 

うまく伝わっておりますでしょうか……。

 

 

 

 

 

まあ、伝わっていてもいなくても(乱暴!)

 

話は無理やり冒頭のセリフに戻りますが、

 

 

 

「わたしの趣味は、あなたです」って、

 

いざ、こういったニュアンスのセリフを誰かに伝えていただくような機会が訪れたときに、

 

(いや、一生のうちに、実際にこの身の上にそういうことが起こるかどうかは別としてね……!)

 

 

 

「うれしい……! ありがとう!」

 

となるか、

 

「重すぎる……! 無理無理無理!」

 

となるかは、

 

 

 

すべて、二人のベースに、

 

「人」的な関係への理解が、確固たるものとしてあるかどうか、

 

そして、その上に、二人でしっかり「11」的な関係を築けているかどうか、

 

そこにかかっている、と思うんですね。

 

 

 

これは、恋人でも、友人でも、家族でも、仕事仲間でも、

 

名前のつけられない、でも大事な大事な関係でも、なににおいてもそうですね。

 

 

 

理想的な人間関係は、ほんとうの理解の上に成り立つ。

 

もしくは、

 

理想的な人間関係は、ほんとうの“愛”の上に成り立つ。

 

と言ってもいいかもしれませんね。

 

 

 

どうも、世界は、そういう風にできているらしい。。。

 

 

 

そんなことを、ぼんやりと考える、2015年の晩秋です。

 

 

 

 

 

……と、ここまで書いてきて、

 

これ、もしかしたら、そのまま、

 

仏教でいう「自灯明」「法灯明」にもつながってくるようなお話なのかも……?

 

と思ったのですが、

 

それは、まあ、また別の機会に回します。笑

 

 

 

 

 

 

 

もうすぐ、冬がやって来るね。

 

 

 

よい一日をお過ごしください。