「平和」を想います。
自分にできることはあまりにも限られているけれど、
どんなにちいさくても、自分に与えられた役割を果たし続けることだけが、
地味だけれど、結局、一番確実な道だと思うので、
今日も、淡々と更新していきます。
ということで、
ひとりひとりに確実に与えられている「お役目」についてのシリーズ、
今日から、少しずつ、具体的なお話を書いていこうと思います。
自分の「得意なこと」の周辺に、お役目が見つかることは多い、
っていうお話を、先日の更新でも書きましたが、
何度も言いますが、ここで大事なのは、
お役目の基準となるポイントは、
あくまで、自分の「得意なこと」にあって、
それは、かならずしも、最初から
自分の「好きなこと」であるとは限らない、ということです。
自分だけのお役目を見つけたいのなら、
自分の「好きなこと」の中から探すよりも、
自分の「得意なこと」の中から探した方が、
断然、効率的なんです。
理由は簡単。
「得意なこと」は変わらないけれど、「好きなこと」は変わるから。
その可能性が高いから、です。
然るべきお役目をしっかり果たしているとき、そこにはよろこびだけがあります。
「自分」と「他者」との境目がなくなって、
超巨大な「ひとつ」として生きている“ほんとうの自分”を発見するから。
そのことが与えてくれる以上のよろこびなんか、
ほんとうはどこにも存在しないんです。
自分の得意なことをやっていると、周りがよろこんでくれます。
周りがよろこぶと、自分もうれしい。
うれしいから、さらに工夫してやっていける。
しかも、そもそも得意なことだから、最低限の労力でそれができる。
すると、その結果に、さらに周りがよろこんで、
そのよろこびが、また、自分のよろこびになって……
どんどんどんどん増殖していって、
あっという間に、よろこび無限大∞です。
「他者」のよろこびを、「自分」のよろこびとして受け取っていく……
これ、「自分」という意識の範囲を拡大していくために、実は、一番効率的なやり方なんです。
得意なことをやると、割合簡単に、それが実現されてしまうんですね。
「分離・分断」ではなく、「つながり」を生きていくこと。
すべてとつながって「ひとつ」となった“ほんとうの自分”を発見すること、
そうして、それをそのままに生きていくこと。
“ほんとうのしあわせ”はそこにあって、
どんな存在も、こころの奥底では、それを知っていて、求めているのだと思います。
で、そうそう。
「得意なこと」と「好きなこと」のお話ですね。
やっぱりね、人間、目先の「好きなこと」を優先したくなるんですよ。
でも、ここはいったんクールになった方がいいです。
「得意なこと」をやるときと、「好きなこと」をやるとき、
どちらの方が、結果的に、よろこびの範囲は大きくなるのかな?
それを、とにかく、静かに、冷静に、見極めるんです。
自分の好きなことをやっているときは、よろこびは、
この、皮膚の内側に閉じ込められた「自分」だけに限定されます。
それは、あくまでも「自分だけのよろこび」なんです。
でも、得意なことをやると、よろこびは、「自分」の範囲をやすやすと飛び越えて、
どんどんどんどん周囲に拡大していきます。
と、同時に、「自分」が「自分」だと思っていたものの範囲も拡大していきます。
最終的には、「自分」とか「私」とかいうことばの意味が
すっかり転換してしまうところにまで到達してしまいます。
「“私”はいない」「すべては“わたし”」の世界です。
そして、それが“ほんとうの世界”です。
“ほんとうの世界”には、“ほんとうのよろこび”だけがあります。
それはそのまま“ほんとうのしあわせ”です。
前者と、後者。
どちらの「よろこび」を味わいたいですか?
想像を絶するほどの「しあわせ」がこの世には存在していて、
しかも、ほんとうは、どんな人にも、それが用意されている、
そして、ほんとうは、いつだって、その「しあわせ」を生きていくことができる……
そういう風に世界が作られていることは、光明でしかないなあ、と。
“ほんとうのよろこび” “ほんとうのしあわせ”
そこに目覚めていくことが、
そして、実際にそこを生きることが、
ひとりひとりがそこを生きていくことが、
そのまま、「平和」への道になるのではないかな、と。
そんなことを、本気で考えています。
ということで、「お役目」シリーズ、ちょくちょく書いていきます。
今朝の東京には、澄んだ青空が広がっています。
よき日をお過ごしください。