「お役目」のこと。

2015年11月14日

人には、ほんとうに、それぞれ、持って生まれた“お役目”というものがあるのだと思います。

 

(いや、ほんとうは、有機物でも、無機物でも、世の中に存在するものすべて、

 

ひとつひとつ、なんらかの大切なお役目を担って生まれてきているのですが、

 

話をわかりやすくするために、今回は人間に限って書き進めていきます。)

 

 

 

もう、何度このたとえを使ったのかわからないぐらいですが……

 

人類全員で、巨大なひとつの人体を形成している、としますよね。

 

するとそこにはたくさんのお役目が生まれてきます。

 

 

 

たとえば、

 

脳の毛細血管内のひとつの細胞だったり、

 

瞳の水晶体内のひとつの細胞だったり、

 

三半規管内のひとつの細胞だったり、

 

右心房内のひとつの細胞だったり、

 

大腸壁内のひとつの細胞だったり、

 

膝の半月板内のひとつの細胞だったり、

 

左足の小指の爪内のひとつの細胞だったり……

 

とにかく、そこには無数のお役目があるんです。

 

しかも、そのうちのどれひとつが欠けても、人体は正常に機能しないんです。

 

 

 

瞳の水晶体内のひとつの細胞が、真実、瞳の水晶体内のひとつの細胞をやっているとき、

 

右心房内のひとつの細胞が、真実、右心房内のひとつの細胞をやっているとき、

 

膝の半月板内のひとつの細胞が、真実、膝の半月板内のひとつの細胞をやっているとき、

 

そこには、ほんとうの“よろこび”が生まれてきます。

 

 

 

自分の持って生まれたお役目を、この地でしっかり果たしているとき、

 

そこには、「自分」も「他者」もなく、

 

ただただ“ひとつ”としての、“ほんとうの自分”として存在している……

 

そういった本来的、根源的で、果てしなく広大な安心感の中で、

 

じわじわとした、ほんとうの“よろこび”だけに包まれながら

 

生きていくことができるのだと思います。

 

 

 

その“よろこび”は、どんな人にだって与えられます。

 

自分に与えられたお役目さえ果たしていれば、

 

ひとり残らず、もれなく、確実に、与えられる。

 

そういう風にできているんです。

 

 

 

ちゃんと自分のお役目を果たしている人は、他人のことをどうこう言ったりしませんね。

 

だってそこにはどっしりとした安心感をベースとした“よろこび”があるから。

 

 

 

逆に、ちゃんとお役目を果たしていないときって、人ってどこか不安なんです。

 

不安であるがゆえに、嫉妬や、批判や、攻撃を抑えられなくなってしまう。

 

 

 

夏休みの宿題にまったく手をつけていない、8月後半の小学生のような気持ちを

 

常に抱えたままで生きているんだから、そりゃあつらくて当然なんです。

 

だけど、そのつらさを外側にぶつけたところで、なにも解決しないですよね。

 

そんなことをしている暇があったら、自分のお役目を探した方がいいです。

 

 

 

人間、いつかかならず、自分だけのお役目に向き合わなきゃいけなくなる。

 

かならず、です。

 

それならば、できるだけ早めに取り組んじゃった方がいいですよね。

 

 

 

で。

 

このお役目なんですが、

 

これ、もしかしたら、自分の「得意なこと」にヒントがあるかもしれないです。

 

 

 

誰に教えられたわけでもないのに、なんだかやけにうまくできてしまうこと。

 

自分がそれをやると、周りがよころんでくれること。

 

誰にだって、かならずひとつはあると思います。

 

そういったことの周辺に、自分だけのお役目が見つかることは、多い。

 

 

 

ここで注意が必要なのは、あくまで、お役目っていうのは「得意なこと」にあって、

 

それが「好きなこと」であるとは限らない、っていうところなんですね。

 

 

 

いや、世の中には「得意なこと」と「好きなこと」が

 

最初からばっちり合致している、という幸運なケースだってありますよ。

 

でも、たいていの場合、そこには微妙なズレがあるんですね。

 

 

 

でも、安心してください。

 

それがほんとうに自分のお役目であるのなら、

 

「得意なこと」が、やっているうちに、

 

そのまま「好きなこと」になっていきます。

 

しかも、自分の頭で「これが好き!」「あれが好き!」って思ってやっているあれこれよりも、

 

数十倍、いや、数百倍、数千倍、数万倍の“よろこび”が、そこには生じてくるんです。

 

これは、間違いのないことなので。

 

 

 

……で、です。

 

この「得意なこと」って、

 

実は、自分自身よりも、周りの人の方が正確に知っていたりするんですよね。

 

 

 

自分で自分の「得意なこと」を探そうとしても、

 

いつの間にやら「好きなこと」にすり替わっていたりするので……。

 

それじゃどうにもダメなんだ、っていうのは、さっき書いた通り。

 

 

 

それをちゃんと自覚した上で、

 

お役目を見つけるべく、ちゃんと行動しつつ、

 

できるだけ素直に、愚直に、謙虚に、

 

ご縁があった人々の声に耳を傾けていると、

 

あるとき、「あ、自分のお役目、これかな?」っていうのが見えてくる。

 

 

 

そうしたら、あとは実際にそれをやるだけ、ですね。

 

やってみなきゃなにもわからないので。

 

 

 

やってみて違ったっていうことも、そりゃあ何回も出てくるでしょう。

 

それでいいんです。違ったら違ったで、また探せばいいだけ。

 

なにもせずに動かないでいるよりぜんぜんマシです。

 

動いていれば、かならず、いつか見つかるので。

 

というか、誰かがかならず教えてくれるので。

 

そのときにとにかく大事なのは、

 

くり返しますが、「素直さ」「愚直さ」「謙虚さ」ですね。

 

 

 

 

 

ひとりひとりが持って生まれた自分だけのお役目を果たすようになったら、

 

この地は楽園になると思うんです。

 

本気でそう思うんです。

 

 

 

誰だって、どっしりとした安心感の中で、“よろこび”を感じていたいでしょう。

 

ひとりひとりが、それをやるんです。

 

そうできるように作られているんだから、あとはもう、やるだけなんだと思います。

 

 

 

 

 

ずっとずっと「お役目」のことばかり考えています。

 

そこに、ほんとうの意味での平和への大きなヒントがある気がするので。

 

 

 

今回は概要だけバババーッと書いてみましたが、細かい部分は、また日を改めて……。

 

 

 

 

 

 

 

冬のはじまりを思わせるような冷たい空気が流れる朝です。

 

 

 

よい一日をお過ごしください。