「ひとつ」と「個性」と。

2015年11月12日

ふと思い立って、「すべて」ということばを辞書で調べてみました。

 

 

 

すべ‐て【全て/▽凡て/▽総て】

《動詞「す(統)ぶ」の連用形+接続助詞「て」から》

 

[名]

ある物や、ある事の全部。いっさい。「―を知る」「見るもの―が珍しい」「金が―の世の中」

[副]

1 ことごとく。残らず。「財産を―投げ出す」「見たことを―話す」

2 おおよそ。大体。総じて。

3 (打消しの語を伴って用いる)全然。まるっきり。

 

 

 

ふむ……。

 

今度は「す(統)べる」を調べてみたところ……

 

 

 

す・べる【統べる/▽総べる】

 

1 全体をまとめて支配する。統轄する。「国を―・べる」

2 多くの物を一つにまとめる。

 

 

 

支配…… 統轄……

 

なるほど……。

 

 

 

でも……これ、どうなんでしょうね。

 

その“まとまり”とか“ひとつ”とかって、

 

人間が手を加えなければ、

 

つまり、「統べる」ということをしなければ、

 

成り立たないようなものなのかな?

 

 

 

私もこのブログでしょっちゅう「すべて」っていうことばを使うのですが、

 

これね、私のイメージとしては、

 

「バラバラのものを無理やりひとまとめにしている」

 

といったものではなく、

 

「本来的に“ひとつ”であるものを、そのままに見ている」

 

というニュアンスなんですね。

 

 

 

「私」も「あなた」も「彼」も「彼女」も

 

「右」も「左」も「上」も「下」も

 

「東」も「西」も「北」も「南」も

 

「これ」も「それ」も「あれ」も

 

ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、ほんとうは“ひとつ”。

 

 

 

だけど、その“ひとつ”は、決して、色のない平坦な世界なんかじゃない。

 

 

 

「私」も「あなた」も「彼」も「彼女」も

 

「右」も「左」も「上」も「下」も

 

「東」も「西」も「北」も「南」も

 

「これ」も「それ」も「あれ」も

 

ひとつひとつが、ちゃんと“個性”を持っている。

 

 

 

でも、その“個性”のベースには“ひとつ”がある。

 

本来的に“ひとつ”だからこそ、“個性”の出現がゆるされる、というのかな……。

 

 

 

これってものすごく豊かな世界ですよね。

 

 

 

人間が無理やりひとまとめにしなくても、

 

すべて、最初から、そのようになっている。

 

 

 

人間にできるのは、

 

力を抜いて、すべてをゆだねて、すべてにまかせて、ゆったり生きていくこと、

 

それだけなのかもしれません。

 

 

 

それだけで、豊かな世界を生きていくことができる。

 

個性を発揮しつつ、心安らかに、

 

“すべて”としての“わたし”を、生きていくことができる。

 

 

 

ひとりひとりがそれをやっていく。

 

ほんとうの平和は、そこに立ち現れてくるんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

 

ひんやりした風が心地よい東京の朝です。

 

そちらはいかがですか?

 

 

 

よき日をお過ごしくださいませ。