先日、母と妹と3人で、都内の温泉に入りに行ったのですが、
いや~、温泉っていいものですね~、としみじみ思いました。
だって、もう、そこではみんなが丸裸なんだもん!
老いも若きも関係なく、
みんな一糸まとわぬあられもなき(笑)姿でお湯に浸かっている。
あらためて考えてみれば、これ、ものすご~く清々しい光景ですよね。
裸になってしまえば、どの人間も大差ないですね。
みんな同じような形をして、
みんな同じような顔をして、
みんな同じように、気持ち良さそうにお湯に浸かっている。
服を着ているとき、お化粧をしているときには、
みんな「大差ある」かのようにして生きていますよね。
着飾って、着飾って、とにかくてんこもりに着飾って、
「私は“これ”です!」と必死でアピールして生きている。
意識的にであれ、無意識的にであれ、
多くの人たちはそういう風にして生きています。
これ、目に見える部分だけのお話じゃないですね。
年齢、性別、出身地、住んでいる場所、職業、年収、家族構成、交友関係……
これら、ぜんぶ、「自分」を規定するためのアイテムだと思われていますし、
私だって長年そう思い込み続けて、それを疑うことすらしてこなかったのですが……
ねえ。
でも、それ、ほんとうかなあ?
ほんとうに、ほんとうかなあ?
年齢、性別、出身地、住んでいる場所、職業、年収、家族構成、交友関係……
それらをひとつずつ外していったときに、
最後に残る「自分」は、誰???
その「自分」こそが、ぜったいに揺るがない、
「ほんとうの自分」だったりするんじゃないかなあ。
裸になることって、とても大切ですね。
服も、化粧も、アクセサリーも、
ぜんぶぜんぶ取り払ってしまったところにただある「自分」。
その「自分」にくつろげたら、
つまり、丸裸の「ほんとうの自分」と仲直りできたら、
もう、最強だと思う。
というか、もう、思い切って言ってしまえば、
「ほんとうの自分」を生きることにしか、
ほんとうの意味での「しあわせ」は、ないんじゃないかな、と。
しあわせに生きたいのなら、そこは決して避けて通れないんじゃないかな、と。
「ほんとうの自分」を生きることは、
「ほんとうのいのち」を生きることに他ならないのだから。
私は、なんの取り柄もない、「ただの人」ですが、
ただひとつ、
「ぜんぶ脱いじゃっても大丈夫だよ」と、
「丸裸になることは、怖いことじゃないよ」と、
「ほんとうの自分で生きることは、心地よいことだよ」と、
それだけは、誰かに伝えていけるかもしれないな、と。
それを伝えていくことが、ひとつ、私の役割なのかもしれないな、と。
そんなことを思っています。
「あなたが脱げないのならば、私が先に脱ぎましょう」
「誰でもない、なんでもない“わたし”として、
笑ったり、泣いたり、怒ったりして生きている、
その姿を、とくとご覧にいれましょう」
いつだってそういう心持ちでいます。
まあ、たまにはね、綺麗な服や、流行りのコスメや、
キラキラ光るアクセサリーなんかが欲しくなったりもするんですけれどね。
で、実際に手に入れて、身に着けてみちゃったりもするんですけれどね(笑)
でも、できるだけ……ね。
今日もどこかで大胆ストリップ。
公然わいせつ罪でお縄ちょうだい、となったら……
助けてください……(笑)
丸裸で温泉に浸かっているような気分で、今日も心地よく生きていこう。
よき日を!